2012年10月28日日曜日

和朗フラット(スペイン村)

新一ノ橋から永坂を登り切り、飯倉片町交差点の少し手前、右手の路地を少し入ったところにレトロっぽい、しゃれた建物達があります。調べてみると「和朗フラット(スペイン村)」という名がありました。

昭和10年(1935年)ころ、アメリカ帰りの農学者上田文三郎が農業視察で息子の万茂とアメリカ西海岸のコロニアル・スタイルの建物に感銘をうけて、親子で設計しました。そして地元の大工と協力して建てたアパ-トは窓の形がすべて異なっていて、そのスタイルから「スペイン村」と呼ばれました。当時から銀座に勤めるホステス、芸能人などに人気がありましたが、現在もデザイナ-、コピ-ライタ-などに人気があるといいます
1936年(昭和11年)前後に、賃貸の集合住宅として、全五棟が建てられた洋風のモダンアパートで当時としては珍しい洋式トイレ、タイル張りの浴室などが完備されていました。同潤会アパートと並びモボ、モガのあこがれであったといわれており、スペイン村とも呼ばれています。
この建物は上田文三郎設計で賃貸住宅として全五棟が建てられましたが、一号館は戦災により焼失し現在は番号を繰り上げて1,2,4号館が現存します。




和朗(わろう)という名は、ここに住む人たちが、和(なご)やかに朗(ほが)らかに過ごせるように願ってつけられたとのことです。五棟の建築主も上田文三郎で、外観のモデルは、1920年代後半、アメリカ旅行で見た、西海岸の明るいコロニアル式住宅ではないかといわれている。設備面では、建築された当時から、都市ガスが浴室・台所・居室に配管され、別に、一号館と二号館では、各戸に、地下ボイラー室から蒸気を送る、いわゆる「スチーム暖房」が使われていました。

居室は全室家具つき。ベッド・テーブル・椅子2脚・電気スタンド・ガスストーブという備品名が、古い契約書に残っているといいます。現在1、2、4号館ともに所有者が別で、4号館は女性専用アパートとして貸し出されているとのことで、また4号館には不定期営業の店舗も唯一存在すします。

































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