また新聞にも毎日のように取り上げられ、現在でも各紙の縮小版を見れば当時の過熱ぶりを改めて確認することができます。しかしこれらの報道はきわめて一過性のものであり、ドキュメンタリーとして読み返すとその情報の少なさからの全体像の不明確さに改めて気づかされます。
もちろん速報性を重視した新聞記事やニュース番組には何の責任もない事は百も承知しています
が.....。
高尾山の「麻美(アザミ)ちゃん」 |
第一部では、
- 都心にサル現る
- サルが都会にいてはいけないか
- サルは山の動物か
- 自然に対する時間軸
- 棲み分けの思想
- 緑の回廊(コリドー)
第二部では、
- 麻布のサルは野生か
- ペット逃亡説
- 野生サル遺棄説
- なぜ由来が問題なのか
- DNA鑑定
- 出身はアルプス
- タライ回しにされる動物たち
- 野生動物シェルターの設置を!
高尾山自然動植物園内のサル園に収容され「麻布で捕獲されたことから”麻美”(あざみ)ちゃん」と命名されたこのメスのサルは、当初野生に戻す予定であったといいます。(東京新聞1999年8/21付によると当初サルは”麻<あざ>”と命名されたようですが、それではあまりにも可哀想という意見が多くなり結局”麻美<あざみ>”と命名されたといいます)
しかし捕獲後に診察を受けた「多摩動物総合病院」の「人に慣れてしまったサルを自然に戻すのは無理」という進言により高尾山サル園に引き取られることになったといいます。さらに捕獲時に採集された血液によるDNA鑑定が行われ、麻美ちゃんは南アルプスの遺伝子を持っていることが判明し、年齢は7~8歳。人間で言えば二十代前半ほどで東京に来る過程において、また食事の摂り方などから人間の関与が確実視されペットとして飼われていた可能性が高いと結論されました。
そして、園での暮らしぶりは高尾山の豆知識サイトに掲載されている「麻布ザル アザミ」に詳細が語られているのでご紹介。
(記事引用はじめ)
~一般的に4、5歳を超えた大人のサルを別の群れに入れるのは極めて難しい。(記事引用おわり)
人に飼育され、社会的な振る舞いができないサルの場合は一層困難になる。
DNA鑑定で「南アルプス」出身と分かり、ペットとして飼われていた可能性が高いとみられていた。
同園では、アザミをサル山の群れに入れるタイミングを探っていました。
捕獲後、環境の変化によるストレスからか、落ち着きがなく歩き回ったり食欲もなかったそうです。
半年は群れから離れたオリに単独で飼い、次に群れ近くのオリで慣らしたが、オリに近づくオスの
腕にかみつくなどしたため、再び離れたオリに戻しました。このオリでアザミは、母親のない子猿
の面倒を見るなど母性愛に目覚め、ほかのメス4匹ともコミュニケーションが取れていたという。~
前述私が高尾山を訪れたのは1999年12月頃でしたが、そこで見た「麻美ちゃん」は群れから隔離され単独の檻に入っていました。そして檻の中をせわしなく行き来する姿は素人目にも園に馴染んでいるようには見えず、哀れを誘った記憶があります。
しかし時と共に次第に落ち着きを取り戻し園の生活にも馴染んでいった様子が「高尾山の豆知識サイト」記事からも伺えます。
そして、4年あまりを過ごした2003(平成15)年、毎日新聞(2003年4/14朝刊8面)は「アザミ サル山デビューへ」と題した記事で、アザミに母親を失った子ザル「ブルー」が甘えて寄り添っている写真が掲載されており、紆余曲折の後に園の環境に慣れてきたアザミのサル山での集団生活が近いことをほのめかしていた。 しかし、悲劇は突然やってきました。同サイト記事を再び引用すると、
(記事引用はじめ)
~同園は改装工事のため、今年6月[※2003(平成15)年]からサルをサル山から移して飼育し、10月に再びサル山に計30匹のサルを放した際、アザミも群れに入れることにしました。(記事引用おわり)
しかし、アザミはサル山に初めて入った10月6日、オスとのけんかで左腕や足などをかまれた。致命傷ではなかったが、14日になって敗血症を起こし、急死したのです。
篠裕之園長は「猿は群れの中で社会性を身に着けるものだが、アザミにはその経験がなかったのだろう。
サル山に入れる最後のチャンスと思ったが、あだになってしまった」と話している。(毎日新聞)~
記事に書かれたとおり、残念ながら麻布サルの麻美ちゃんは2003(平成15)年10月14日死亡していたことが判明しました。
毎日新聞2003年12月2日付朝刊8面には「サル社会なじめぬまま...」と題して麻美ちゃんの死亡記事が遅ればせながら掲載されています。そしてその記事の横にはカメラをまっすぐに見据え、穏やかながらも私たちに何かを問うようなまなざしの麻美ちゃんの画像が掲載されています。この画像を見ているとサル騒動から10年目となる今年、南アルプス生まれのサルが何故高尾山で生涯を終えなければならなかったのか?と改めて疑問を感じます。そして「人間と野生動物の関わりを改めて見直す」という問題を解決しない限り、再び麻布近辺に野生動物が現れることが「今後ともない」とは言い切れません。
※麻布でサルが逃げ回った翌年の2000年7/15付読売新聞朝刊には有栖川公園近くの盛岡交番脇にペットとして飼われていた「スローロリス」という種類のサル4匹が遺棄されているのが見つかり、その後の2005年5月には広尾近辺で見つかったサルが北に逃亡した様子が新聞紙上に記載されました。
☆逃走経路
八王子~渋谷
- 1999(平成11)年6月08日-八王子で野生と思われる猿が住宅街で目撃される
- 1999(平成11)年6月10日-国立で目撃される
- 1999(平成11)年6月11日-府中で目撃される
- 1999(平成11)年6月12日-調布で目撃される
- 1999(平成11)年6月13日-祖師谷で目撃される
- 1999(平成11)年6月14日-代田で目撃される
- 1999(平成11)年6月15日-北沢、目黒、渋谷で目撃される
麻布
- 1999(平成11)年6月16日西麻布に出没その後、外苑西通りを横断中に車と衝突!ケガ。
- 1999(平成11)年6月16日読売新聞夕刊3面に「黄色い声、サル逃げ回る」との見出し。
- 1999(平成11)年6月17日読売新聞朝刊1面に「西麻布サルの大捕物」との見出し。
- 1999(平成11)年6月17日猿捕獲の専門家「猿田氏」が捕獲作戦に参加しかし失敗。
- 1999(平成11)年6月18日南麻布フランス大使館(旧徳川邸)の近くに現れ、
朝食にハムを食べていたのが目撃さた。
- 1999(平成11)年6月19日フランス大使館付近に引き続き出没。
- 1999(平成11)年6月20日麻布グランド、麻布高校、桜田神社付近に出没。
- 1999(平成11)年6月21日六本木交差点で目撃される。ハ-ドロックカフェ付近の民家の屋根で目撃。
- 1999(平成11)年6月21日鮨屋の前を通る。
- 1999(平成11)年6月21日幼稚園の「びわ」を食べた。
- 1999(平成11)年6月21日東洋英和を通りぬけ、おたふく坂方面へ逃走......。
- 1999(平成11)年6月22日読売新聞夕刊3面に「都心サル気なし?」との見出し。
- 1999(平成11)年6月24日SonyよりPlayStation用のゲームソフト「サルゲッチュ」が発売され「麻布サルはその宣伝効果を狙ったメーカーの仕業」という根も葉もない噂が広まる。
- 1999(平成11)年6月29日読売新聞朝刊3面に「部屋のぞく六本木サル-小4パチリ」としてアメリカンスク-ル4年生の男児が近所の知人宅に サルがいると聞きいて行き、窓越しにバナナを持ったサルの撮影に成功したという写真付きの記事が掲載。
- 1999(平成11)年7月1日狸穴、飯倉に出没。午後1時過ぎに飯倉小学校に現れ,ほとんどの生徒が目撃。
- 1999(平成11)年8月1日読売新聞朝刊に「都心のサルに子ネコの友達」と題して、
土着したサルが東麻布の民家で子猫と遊ぶ様子が写真入りで紹介される。
- 1999(平成11)年8月15日読売新聞朝刊に「麻布のサルついに御用」とあり、14日正午過ぎ「東京アメリカンクラブ」
のオフィスに入りこんだところを、連絡を受けた上野動物園の飼育員により捕獲されたとの事。
また、捕獲されたサルはメスで一時園内の動物病院に収容され、
野生に戻すかを検討すると記事は書いている。
- 1999(平成11)年8月17日「朝日新聞朝刊には麻布のサル、多摩の動物病院に移送 」 の見出しで、
14日捕獲された麻布のサルが、上野動物園から東京都福生市の多摩動物総合病院に車で移されたとの事。
★1999(平成11)年の出来事
・世界人口、60億人突破※文中の高尾通信の記事使用を快くご許可下さったサイト管理者様には改めてお礼を申し上げます。
・5月アメリカ合衆国オクラホマ州・オクラホマシティを巨大な竜巻が襲う
・7月スター・ウォーズ エピソード1が日本で公開
・8月トルコ西部地震
・9月 新幹線0系電車が東海道新幹線から姿を消す
・9月台湾中部地震
・9月東海村JCO臨界事故発生
・だんご3兄弟がヒット
・10月首都高古川橋付近でタンクローリーが爆発
・12月ミレニアム・カウントダウン
引用部分出典:高尾山の豆知識サイト