宮村町商圏
10年ほど前、用事のついでに久しぶりに三田小山町に足を運び、変わらない町並みを見てホッとして帰ってきました。以前「三田小山町」でお伝えしましたが この小山町は、ちょっとした買い物なら町の中で済んでしまうような小さな商店街ですが、昔はどこも皆そうだったなんて思いながら宮村町のお店(狸坂下から狐坂下)を思い出しながら書いてみました。
|
宮村町商圏のお店 |
こんなにお店があったんだ!と驚くと共に現存するのは、クリ-ニング屋さんと、代替わりした酒屋さんだけでになってしまいました。
私が小学生の頃の昭和40年代前半には、これらの店によくお使いに行かされました。私の住まいは本光寺横にあったので、どの店へも 100mもありません。
魚屋さんへは大きな皿を持っていき、大体の値段をいって刺盛りを造ってもらい、正月の準備で酒屋に行くと、「赤玉ポ-トワイン」を我が家は正月だけは、子供が赤玉ワインを少々飲むことを許されていました。玉子は必要な分だけうどん屋さんに買いに行き、もみ殻に並べられたものを買いました。。パン屋には惣菜パンが所狭しと並んでいました。本光寺横の駄菓子屋は夏になると「かき氷」をやっていて、すぐ隣なのに几帳面な店主は氷が溶けないようにオカモチで出前もしてくれました。アイス屋さんは正確には炭屋さんで、夏には一本5円で割り箸のアイスキャンデ-を売っていました。
宮村公園方面路地横の駄菓子店は私が小3位の時に廃業していました。総菜てんぷら店は娘さんが私と同級生。また、本光寺の前にはおでんの屋台が良く来ていました。十円くらいで「チビ太」が持っているようなおでんを買って良く食べた覚えがあります。ある日お金を払ってさあ食べようとしたところを、大きな犬にのしかかられておでんを横取りされ、それがトラウマで、来私は今でも犬が苦手です。
哀愁のあるラッパを吹きながら本村町の豆腐屋さんの自転車が路地の奥まで売りに来ました。20年ほど前のある日、宮村公園付近で豆腐屋のラッパが聞こえたので急いで行って見ると、 何と当時と同じ豆腐屋さんで、私のことも覚えていてくれました。そして驚いたのは、その豆腐屋さんは私が小学生の頃に見たままの容姿で、ちっとも年をとっていないように見えたことです。
このような小さな商店街は、そこここに存在していました。正確には商店街というよりも数件の個人商店が集まった小さな商圏と呼ぶべきかもしれません。そしてこの小さな商圏が宮村町の周辺には、
桜田神社周辺の桜田町商圏、中国大使館南側の三軒家町商圏、仙台坂上の本村町商圏、坂下の竹谷町商圏などが存在し、日常的な食品などは十番商店街などへ行かなくても、その中だけで済んでいました。現在はコンビニがそこここにあり一見便利になったように錯覚しますが、よく考えると、昔の小さな商圏のなかで暮らしていた方が、よほどコンビニエンスだった気がしてなりません。
◎関連項目
・麻布宮村町
・しみず ”ボタン”屋
・麻布のショ-ン・コネリ-
・狐坂
・狸坂
・宮村町の宗英屋敷
・渡辺大隅守
・内田山由来
・岡本綺堂の麻布
・宮村町の千蔵寺
・麻布を通った宇宙中継電波(ケネディ暗殺速報).その1
・麻布を通った宇宙中継電波(ケネディ暗殺速報).その2
・続・防空壕( 麻布山の巨大地下壕 )その4-確定された宮村側入口-
・宮村Valley-宮村新道
・宮村町の正念寺
・幻の山水舎ラムネ瓶
・宮村町の川端康成
・芳川伯家婦人心中
より大きな地図で マイクロウェーブ幹線 を表示