当初、広尾橋そばの玉川家について調べようと始めた一連の水車ネタでしたが、調べ始めると明治期の渋谷川・古川流域にかかる水車 が多かった事に正直驚いてしまいました。そして水車台帳に記載された所在地を明治期の地図にプロットしてゆく課程において、渋谷川・古川 から遠く離れた位置に数多くの水車が存在したことから、当初プロットミスかと思い何度も再検証してみました。
しかし、その位置に間違いはなく、 原因が「三田用水」にあると気がつくまでに、しばらくの時間を要しました。それは今まで漠然と描いていた「渋谷川・古川の流れに直接水輪を入れて 水車を回している」という江戸期の玉川水車から連想されるイメージとは大きく隔たりがあるもので、さらに中には動輪の力により100台あまりの臼をついていた 水車などもあり、田園風景で小さな水車小屋がのどかに廻っているというイメージも、明治期の水車には通用しない事が判明しました。 そして、これらの漠然としたイメージを整理するため、下記にまとめてみました。
麻布水系 Google Map
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表1-明治期 古川・渋谷川(渋谷駅より下流)に流れ込む水流の水車(支流も含む) 系 設置
河川No. 台帳
No.名 称 水車所在地 目標 用 途 諸 元 備 考 古
川
系古
川
筋1. 353 河内明倫
水車麻布区麻布広尾町字八郎右衛門新田134番地 小山橋 精米 水輪2丈3尺・搗臼90台 譲主:山川平蔵・明治16年更新 2. 1021 松本亥平
水車麻布区麻布広尾町字八郎右衛門新田133番地 小山橋 精米 有堰・搗臼80台 明治16(1883)年継続申請 3. 1022 松本亥平外1名
共有水車麻布区麻布広尾町字八郎右衛門新田134番地 小山橋 活版印刷 水輪1丈8尺幅3尺・馬力2.0 明治13年新設時名義人: 青山八郎右衛門 笄
川4. 978 福沢諭吉
水車南豊島郡渋谷村
麻布広尾町89番地天現寺 精米 堰高6尺幅9尺・水輪1丈2尺・搗臼9台 福沢諭吉の広尾水車。諭吉の死後地権は長男の一太郎に、水車営業権は三男の三八が相続 5. 736 田丸兼次郞
二番水車豊多摩郡渋谷村下渋谷
字広尾耕地1942番地天現寺 精米 水輪1丈・搗臼9台 福沢諭吉水車が移転したもの。3男三八が相続。その後早川徳次郎→田丸兼次郞と転売 渋
谷
川
系渋
谷
川
筋6. 734 玉川金三郎
水車豊多摩郡渋谷町
下渋谷1677番地山下橋 精米 水輪2丈4尺幅6尺・下射樋長13間・堰高5尺5寸5分・搗臼11台 享保18(1733)年新設・江戸名所図会の広尾水車 7. 324 加藤米吉
水車南豊島郡渋谷町
下渋谷1036番地庚申橋 精穀 堰高5尺幅5尺・水輪2丈1尺・搗臼60台 文政11(1828)年新設。加藤水車 8. 993 古川源太郎
水車豊多摩郡渋谷村
中渋谷217番地稲荷橋 精穀 水輪1丈9尺・搗臼63台 明治16(1883)年継続申請 いもり川 9. 793 永井勘七
水車豊多摩郡渋谷村
下広尾19番地臨川小学校 コンデンスミルク製造 水輪1丈・釜6台
馬力0.1077(江川用水)どんどん橋・明治10年頃に友野義国が西洋理髪鋏製造用途で使用 三
田
用
水
系神
山
分
水10. 1036 三井鶴吉
一番水車豊多摩郡渋谷村中渋谷
字大山729番地松濤美術館 精穀 水輪2丈1尺・搗臼13台 明治15(1882)年継続申請 11. 1037 三井鶴吉
二番水車豊多摩郡渋谷村中渋谷
735番地松濤美術館 精穀 水輪1丈5尺・搗臼12台 明治15(1882)年継続申請 鉢
山
分
水12. 311 加藤幸三郎
水車南豊島郡渋谷町中渋谷
字長谷戸419番地鉢山公園 精穀 水輪1丈2尺・搗臼12台 旧一二ヶ村組合用水 13. 256 奥田兼吉
水車南豊島郡渋谷町下渋谷
字田子免657番地氷川橋 精穀 水輪1丈4尺・搗臼26台 明治18(1885)年継続申請・同20年業種変更 14. 542 柴田清次郎
外12名共有水車豊多摩郡渋谷村
中渋谷141番地鉢山中学 精穀 水輪1丈2尺・搗臼5台 明治20(1887)年継続申請 15. 629 角谷和市
水車豊多摩郡渋谷町
中渋谷138番地鉢山中学 精穀 水輪1丈2尺・搗臼11台 大正5(1916)年廃業 16. 665 高橋茂吉
外12名共有水車豊多摩郡渋谷町
中渋谷103番地鉢山中学 精穀 滝壺深4尺長2間・水輪1丈2尺・搗臼5台 明治44年以前は139番地で営業 17. 967 平峰元
水車豊多摩郡渋谷村中渋谷
字鉢山491番地西郷山 製綿 水輪1丈3尺・綿打器12台 明治17(1884)年継続申請 18. 1167 吉留利衛
一番水車豊多摩郡渋谷村中渋谷
字鉢山分水口491番地西郷山 製綿 滝壺深6尺幅5尺長3間・水輪1丈4尺1寸・綿打器4台・馬力1.693 明治17年継続申請・西郷従道所有地内 19. 397 久保田豊
水車豊島郡渋谷村下渋谷村
字金王下田子免地先並木橋 精米 水輪2丈4尺・搗臼36台 明治11(1878)年新設・鈴木権左衛門 20. 1035 三田弥兵衛
水車豊島郡渋谷村下渋谷村
字金王下田子免681番地氷川橋 精穀 水輪1丈3尺・・搗臼120台 明治18年継続申請 猿
楽
分
水21. 333 鎌田久太郎
水車南豊島郡渋谷町
中渋谷896番地JR・東横線交差 精穀 堰高7尺4寸・水輪1丈2尺・搗臼18台 明治18(1885)年継続申請・大正2(1913)年廃業(大向川落合分水) 22. 308 加藤亀蔵
水車南豊島郡渋谷町下渋谷
字四反町1032番地庚申橋 精米 水輪1丈8尺・搗臼12台 明治32年新設 23. 756 津田亀太郎
二番水車豊多摩郡渋谷町
下渋谷字猿楽783番地代官山駅 精米 水輪2丈5尺・搗臼30台 明治21(1888)年業種変更申請・同33年売買 24. 810 中西馨
水車豊多摩郡渋谷村下渋谷
字代官山934番地JR・東横線交差 精米 水輪1丈3尺・搗臼20台 明治17(1884)年継続申請 道城池
分水25. 737 田丸金太郎
水車豊多摩郡渋谷町
下渋谷1580番地恵比寿2丁目 精米 無堰・水輪1丈5尺・搗臼17台 明治29(1896)年業種変更・(一二ヶ村組合用水) 26. 773 登坂ふく
水車豊多摩郡渋谷町
下渋谷1596番地恵比寿2丁目 精米 無堰・水輪1丈5尺・搗臼12台 明治9(1876)年新設許可 27. 527 真田徳次郎
水車南豊島郡渋谷村
下渋谷字向山1367番地恵比寿3丁目 精米 無堰・水輪1丈5尺・搗臼18台 明治20年継続申請 白金
分水28. 735 田丸兼次郞
一番水車芝区白金三光町
字雷神下387番地神応小学校 精米 無堰・水輪1丈4尺・搗臼9台 三田用水白金三光町内堀水路
明治34年新設29. 977 福沢一太郎
水車芝区白金三光町
字雷神下165番地狸橋 薬種細末 堰高5尺2寸幅7尺3分・馬力2.53搗臼24台 狸蕎麦水車・福沢諭吉の長男名義。精米から製薬に変更。鉄製ハ-キエルス式水車 玉
名
川30. 202 遠藤むめ
一番水車芝区白金今里町103番地2号 芝白金団地 精米 無堰・上射・水輪1丈1尺・搗臼12台 明治24(1891)年継続申請 31. 203 遠藤むめ
二番水車芝区白金今里町103番地1号 芝白金団地 精米
硝子磨切水輪1丈1尺・搗臼26台 明治28年継続申請 豊分羽沢分水 32. 230 大橋富太郎
水車南豊島郡渋谷村
渋谷字下広尾18番地山下橋 鍛冶 水輪8尺馬力0.045 明治24年新設
★暗渠部より下流の渋谷川・古川流域にかかる水車比較(※「三田用水神山分水」は宇田川を経て宮益橋で渋谷川と合流するため対象から除外し、30項目での比較とする。)
取水水流系列比較 No. 流 路 該当水車件数 川別割合 川系割合 A. 古川本流 古川 → 古川 3件 10.0% 16.7% B. 支流 笄川 → 古川 2件 6.7% C. 渋谷川本流 渋谷川 → 渋谷川 3件 10.0% 13.3% D. 支流 いもり川 → 渋谷川 1件 3.3% E. 三田用(上)水 白金分水 → 古川 2件 6.7% 70.0% F. → 玉名川 2件 6.7% G. 道城池分水 → 渋谷川 3件 10.0% H. 猿楽分水 → 渋谷川 4件 13.3% I. 鉢山分水 → 渋谷川 9件 30.0% I. 豊分羽沢分水 → 渋谷川 1件 3.3% 計 30件 100.0%
最終流出河川比較 No. 最終流出河川 取水流域 該当水車件数 割合 備 考 ① 渋谷川 C,D,G,H,I 5か所 21件 70.0% 渋谷川本流、いもり川、三田用(上)水道城池分水・猿楽分水・鉢山分水 ② 古川 A,B,E,F 4か所 9件 30.0% 渋谷川本流、笄川、玉名川
これらのことから、渋谷川・古川流域の水車の7割が三田用水の恩恵で水輪を回し、使用した水の7割が渋谷川に落とされていたことが、 おわかり頂けると思います。しかし何故、渋谷川・古川流域で直接操業する水車が少ないのかを疑問に思われる方も多いと思われるが、 前述したとおりに、大きく分けて2のつの理由があるものと思われます。
また、使用した水の最終流出が渋谷川7割が古川3割となり渋谷川流域の方が水車が多いのは、
- 水輪の輪転には上掛け(上射式)と呼ばれる水輪の上部から水を掛ける方式、中掛け(中射式) 水輪の櫓に水を掛ける方式、下掛け(下射式)と 呼ばれる水輪の下部に流水を当てる方式があったが、勾配の緩い河川では下掛け(下射式)以外の方法を用いることは出来ず、上掛け(上射式)に 比べて圧倒的に水輪を回す駆動力が弱かった。
- 渋谷川流域の土地の勾配は「千分の四」となだらかで、水車を回すための堰を設けるとその影響は上流500m以上にもなり、 その間に水車が設置出来なかった。
などが原因と思われます。
- 上記河川の勾配が古川ではさらに緩やかとなり、堰を設けた場合の影響がさらに長距離となる。
- 白金分水口を最後に三田用水が南部(白金今里方面)に離れてしまうので古川との距離が拡がる。
しかし、例外的な水車として小山橋の3基があげられます。赤羽橋から下流域はほぼ水平となっている古川では干満の影響は天現寺橋辺まで 及ぶと思われますが、下流部にあたる一の橋近辺は潮の干満の影響が大きく、流域に直接水輪を入れて転輪することは不可能のように思われます。
そして水車台帳では一つの堰で3基の水車が使用されていたことが記載されていますが、これも他の水車には見られない現象であるとおもわれます。そして、 東京都立公文書館で「青山八郎右衛門」を調べたときに不思議な記述を目にしました。それは2基の水車を所有する「松本亥平」に提出した 営業許可願いで「水力汲水装置販売」というタイトルであった(と思う)。しかし、その時には「青山八郎右衛門」の調査にかかりきりであったので タイトルを確認しただけで内容は確認していません。全くの想像ですが、この装置に下流域で水車業が営業できた秘密が隠されているのかもしれません。 よって、後日機会があれば、再調査してみたいと考えています。
また、三田上水は前述したように本来白金猿町で終端となっていて、復活後に細川上水を併合して芝西応寺・赤羽橋方面に流れるのですが、 三田上水当時の終端である白金猿町で実は終わっていません。その後余水を五反田方面に下り目黒川に放流していました。この目黒川合流口を書籍、 ネット上で探しましたが、残念ながらどれも特定に至っていません。しかし唯一「江戸の上水と三田用水」という書籍の巻頭に昭和期と思われる合流口の 写真が掲載されていることがわかりました。しかし、残念なのはその写真からも場所を特定することが出来ませんでした。そこで品川郷土資料館にレファレンスをお願いして 同一書籍の写真を確認して頂いた上で結果をお聞きしたのですが、残念ながらその写真から場所を特定することは出来ませんでした。しかし、
などがわかりました。そこで居木橋から下流の東海橋(第一京浜国道)までの北岸にあるそれらしい合流口を探したところ、下記の3か所が確認できました。
- 写真背景にわずかに映っている斜面は池田山か御殿山である可能性が高い
- 古地図には居木橋直前までの水路が掲載されているが、合流点は記載されていない
①小関歩道橋-やや上流に直径1mほどの丸形排水口さらに、この3か所を品川郷土資料館に問い合わせると、
②居木橋-やや上流に一辺30cmほどの金属製蓋付き正方形排水口
③要津橋脇-北詰下流側・金属製蓋付き直径50cmほどの丸形排水口
とのことでした。しかし、写真に写された合流口のあまり大きくなさそうな管の径、合流口の形状(四角形)から、個人的には②が一番近いと考えています。
- ①、②は古地図とも一致する場所なので可能性が高いが、猿町本流の他にも分流があるので特定できない。また写真と同一地域かも特定できない。
- ③は江戸期から東海時の寺領内なので可能性は低い。
三田用水本流→目黒川合流口? ①小関歩道橋北詰上流
三田用水本流→目黒川合流口? ②居木橋北詰上流
三田用水本流→目黒川合流口? ③要津橋北詰下流
目黒川合流口?
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これまで5回にわたってお伝えしてきた「水車ネタ」も今回でまとめて終了.....などと考えていたのですが、水車や流れていた渋谷川・古川、 三田用水とその分水などの位置を確認するために、生まれて初めて渋谷川暗渠開口部付近から古川河口部までの全区域7kmを数度に分けてたどってみた結果、 次回以降は予定を変更して引き続き古川、渋谷川の支流・分流開口部、三田用水分水合流点、調査中目にした野生動物などとともに、今回までに お伝えできなかった渋谷川暗渠から上流の隠田川などで稼働していた水車ネタなどを順次お伝えする予定ですが、調査は未だに未定です。
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