「麻布広尾辺絵図」中央部 |
この「火の見櫓(久留米藩は大名火消し)」は江戸で一番高い櫓でランドマークとして多くの浮世絵などに描かれています。しかし、もしかしたらその有名な火の見櫓よりも、麻布桜田町など高台の尾根に設置されていた町内持ちの簡易的な火の見用の高梯子・半鐘の方がもともと設置されている標高が高いためよく鳴り響いたのでは?という素朴な疑問を調べてみました。
しかし実際桜田町の高梯子がどこに設置されていたのかは不明のままでした。しかし最近その桜田町の半鐘を描き込んだ地図を見つけたので、ご紹介します。
地図は「集約江戸図」という図集の中の「麻布広尾辺絵図」という地図で嘉永二(1849)年に作製された物で、地図上櫻田神社と境内にあった別当寺の観明院が描かれている前あたり、玄碩坂(げんせきざか:現在のけやき坂付近)を登り切ったあたりに「高梯子」と「半鐘」が描かれています。
絵図「半鐘」部分拡大 |
また、同様に一本松付近の大黒坂上に設置されていた明治初期のものと思われる半鐘の画像が見つかりました。
桜田町の半鐘も一本松の半鐘も共に標高30mほどの尾根にたてられており、5mの梯子に半鐘が設置されていたとしても35mの位置から打ち鳴らすこととなり、谷底の麻布十番や日ヶ窪までよく鳴り響いたことが想像されます。
この地図は麻布の中央部がかなり詳細に描かれており、よく鳴り響きそうな半鐘は他にも多くありそうですが、実際に「半鐘」が描かれているのはこの桜田町のものだけです。この桜田町の半鐘については麻布区史桜田町の項に、
「櫻田に過ぎたるものが二つあり火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛」
と記載されていることからも、当時から有名な半鐘であったことが伺えます。
現在の同所付近 |
一本松脇の高梯子と半鐘(明治初期) |
★この絵図に描かれたその他の特記事項は下記。
- 玄碩坂
- 櫻田神社・別当:天台宗観明院
- 大横町坂(富士見坂)
- 湯長谷藩内藤稲葉守上屋敷(超高速参勤交代の舞台)
- 阿部播磨守(沖田総司の父がこの屋敷に仕官していた)
- 専称寺(沖田総司墓所)
- ごみ坂(紺屋坂)
- 長府(長門府中)藩毛利家上屋敷(赤穂浪士切腹・・・乃木希典誕生地・・・ニッカ東京工場跡・・・ニッカ池・・・六本木ヒルズ)
- 小見川藩内田豊後守上屋敷(通称:内田山・現南山小学校・六本木高校・井上馨邸)
- 増上寺隠居所(歴代増上寺監寺の隠居所・麻布氷川神社元地)
- 暗闇坂(明治期の地図には「幽霊坂」とある)
- 宗英屋敷・貞喜屋敷(宗英は将棋所(幕府の官制で、将棋衆を統括する役。貞喜屋敷は西の丸表坊主早野貞喜の拝領屋敷)
- 鳥居坂
- 麻布十番商店街
- 朝日稲荷神社(現・六本木朝日神社:別当は麻布氷川神社境内の徳乗院だが専称寺とも関
- 芋洗坂
有馬家火の見櫓を模した中ノ橋欄干 |
解体中の有馬家火の見櫓(実物) |
桜田町高梯子から見た東方面の風景 (場所:けやき坂上 標高:地面標高31m+梯子7m=38m) ※標高は1.5倍増に設定 |