先日、狸坂下の「青いひみつきち」マスターとお話をする機会があり、営業時間外の店に邪魔してきました。この場所は25年ほど前にはJazzの「Ashtray」があった場所で、当時はさんざん他所で呑んだあげくに宮村町に帰るための最後の関所?でした。
この店のあたりから十番方面に向かう暗闇坂下までの道を「裏麻布ストリート」と呼ぼうという試みが最近起こっているようです。この道沿いのBar店主などが協議して裏原宿(ウラハラ)にあやかって命名した名前のようです。一部気の早い方はタクシー運転手さんに行き先を「裏麻布」っと指定して、きょとんとされるようなことも起こっているようで、もと地元民としては時代の流れを感じさせられてしまいます。
江戸初期までは狸坂と暗闇坂を挟むピザの人一切れのような地域は麻布氷川神社があり、その後幕末までは増上寺の隠居所となった場所だったので、当時はその外周路であったと考えられます。また狸坂下はがま池からの水流と大隅山水流が合流する地点で昔から橋が架かっていたと考えられます。「十番わがふるさと」によると昭和初期頃まで大雨が降るとこのあたりは低地のために氾濫し、水が引いた後には「がま池」から流された鯉や鮒が手づかみで捕れたとあります。またこのあたりから本光寺のある大隅坂登り口あたりまでは「宮村新道」という字名で呼ばれたようで、江戸中期頃に道路が拡張されたときについたものとのことです。この大隅坂は別名きつね坂とも言われていますので、まさに「狐狸ストリート」だったのだと考えられます。現在は中国大使館警備のおまわりさんが立っていますので、さしずめKBストリート?裏麻布も悪くないけど、私としては麻布中心部の最奥部という意味で「奥麻布」くらいにしておいてほしいんですけど......(^^;