2009年8月27日木曜日

不思議な「がま池」写真

先日ある講習会のスライドで久しぶりに、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをした。それは私ががま池で写されたもので、「私と町の物語」に掲載された私が所持する唯一のがま池写真であった。

なんとも小っ恥ずかしいのだが、この写真はおそらく私が小学校3~4年生の時、がま池で写されたものだと想像される。時代は昭和39(1964)年前後と思われる。
そして、10年ほど前の「私と町の物語」展覧会にこの写真を自ら出品したのだが、展覧会当時、がま池保存運動のお手伝いを少ししていた私は、わずかでもがま池を知ってもらえばとの思いから、出品したことを覚えている。
しかし、改めてこの写真を見ると、写真には多くの謎が隠されていることに気がついた。

★ 疑問その①

当時の小学生は真冬でも半ズボンしかはかなかったものだ。私の記憶でも冬のよほど寒い日か、病み上がりの時くらいしか長ズボンなんてはいた記憶がない。(っといっても、実際に写っているんだからしょうがないが...)
また、もし真冬であれば、ザリガニ(マッカチと呼んでいた)なんぞいるわけもなく、いったい何を捕っているだろう?
そして極めつけは持っているバケツで、そのバケツには妹の名前がデカデカと書き込まれている。これは当時、生き物が大好きだった私が家の物に、あたりかまわず何でも捕ってきたマッカチやクワガタ、ヤモリなどをいれてしまうため、妹が泣き叫んだことが幾度もあり、私が絶対に持ち出さないように親に頼んで名前を大書きしたバケツが私の使用をはっきりと拒否を示しているのが読み取れる。この後、騒然な兄弟げんかが起こったことが想像されるが、全く私の記憶にないところを見ると、この日の釣果はボウズであったのかもしれない。

★ 疑問その②

当時の蝦蟇池は池の前に管理人が住んでおり、タイミングが悪い?とすぐに叱られて追い出された。
池への入り口は、管理人住居のすぐ前なので、こちらはよっぽどの命知らずしか通ること出来ず、池の周囲に張り巡らされた鉄条網の破けたところから進入するのが、正しい池への進入方法だった。
しかし、鉄条網のほころびが管理人に発見されると、すぐさま補修されてしまうので、通常はほころびを巧妙に偽装していた。またその偽装が見破られて補修されると、池裏方坂上(現在のコインパーキング付近) の階段から進入をはかった。だから池の入り口は、概ね2箇所が交互に存在した。

がま池は今も昔も、れっきとした個人の私有地なのである。もし、この写真を私の親が写したのだとすれば、親が子供の前で管理人に叱られるという、ありえないほどの危険を冒して撮られた物といえる。
しかし、大人が入り込むことは非常にリスキーな事で、普段大人はあまり見かけなかった。そんな場所に親子連れで入り込むなど、当時の常識を逸しており、私の記憶にも親と入った記憶は一度もない。なのに....私の家のアルバムに堂々と飾られたこの写真は一体誰が撮影したんだろう?
当時、小学生には現在で言うところの「Toy カメラ」を持つことが流行っており、私もでシミズで買った記憶があるが、写したものを写真屋に持ち込むと、何も写っていないことが大半であった。これはやはり、所詮はおもちゃのカメラなの作りが甘く、フィルムが感光してしまうからであった。
そんなカメラで友達同士で撮影したとすれば、写っているのは奇跡に近いのだが、被写体である私がカメラを意識している様子が微塵も見られないし、カメラを持ち込んだ記憶もない。

一体誰が何のために写した写真で、どうして家のアルバムに収まっているのか.......。

そしてまるで嫌がらせのように、床屋に行ったばかりと想像される私が、最も人に見られて恥ずかしいと当時から思っていた「絶壁の後頭部」が、日の光を浴びて輝いている写真.....。

考えれば考えるほど、不条理な写真である。