このサイトを始めた13年ほど前、サイト名をDEEP AZABUとしたのは、私が生まれ育ったのが地図上では麻布地域のほぼ中心部に位置する「麻布宮村町」であったので麻布の最奥部という意味合いで名付けました。
これはChuck Berryの大ヒット曲Jhonny.B.Goodの出だしの、
Deep down in Louisianna close to New Orleans,~♪
という歌詞から思いついたものです。だからニュアンス的には「麻布のずっと奥」「麻布の最奥」なんて訳して頂けると嬉しいのですが。麻布を深く掘り下げたサイトだからDEEP AZABUなんでしょう?などと見当違いの推測をよく言われますが、当方さすがにそんなに面の皮は厚くありません(^^;
そもそもこの最奥部の宮村町の成り立ちはその名前が示すとおり「お宮」があったからなのですが、私はこのサイトを始めるまで、ずっと「寺」が林立する地域であるのでそれをもって「宮村」としている。っと勘違いしていました。
確かにこの辺りに江戸期には本光寺を始め長玄寺・正念寺・千蔵寺・光隆寺・広称寺
・安全寺・龍澤寺とまさ麻布の中でも屈指の寺町。しかし寺を「お宮」とは呼びません。
それでは宮村町の宮とは何を指すものなのでしょうか?
それはズバリ「麻布氷川神社」を指しています。麻布氷川神社は創建時から江戸初期まで暗闇坂と狸坂を挟む広大な敷地を社地として、二の鳥居が鳥居坂上に(このため鳥居坂となったと言う説もある)、 三の鳥居が永坂にあったとも言われ江戸氷川七社の一つとしての面目を保っていました。そしてこの場所に現在も残されている一本松は 麻布氷川神社の御神木であったといわれています。このため坂下町・宮下町・鳥居坂町そして社のお膝元の宮村町はすべて麻布氷川神社との関わりや位置関係から付けられた地名です。
噂ではこの名誉ある地名を六本木町名に変更したらなどという意見があるようですが、とんでもないことです。
そもそも宮村町が六本木地域にふくまれていたことは江戸以前にも一度もありません。都内各所の町会名が昨今の名前から由緒ある江戸期以来の旧町名にぞくぞくと復古している現在、この町名(住居表示?)改革は改悪の極みであることは間違いありません。そしてこの噂が偽情報であることを願ってやみません。
現在港区の住居表示達成率は97.4%だそうです。100%にならないのは麻布永坂町と麻布狸穴町が地域住民の意志により新町名への変更に反対して現在も旧町名を使用しているから.....なのです。