今回も引き続き、昭和10年発行の「大東京猟奇」という本の「狸坂の狸」をご紹介します。
狸坂下 |
これを知ってか知らずか、ある日たまたま通りかかった人が、可愛そうにと思って抱き上げて家に連れ帰ろうと歩き始めると、不思議な事に何度も坂に戻ってきてしまう。
これはおかしいと思ったら急に抱いていた赤ん坊が重たくなり、良く見ると赤ん坊と思って抱いていたのは石地蔵だった。「これは、噂の狸にしてやられた。」と思って身なりを検めると、泥だらけの石地蔵をしっかりと抱いていたので、祝いの席に呼ばれたために着ていた羽織はかまが泥まみれになっていました。家に帰るとおかみさんに叱られ、次の朝は近所の評判になって笑い者にされてしまったといいます。そしてこのような話は、この界隈では一度や二度ではなく、誰となくこの坂を 「狸坂」と呼ぶようになったといい、この坂の辺りには石塔や石地蔵が、そこここにゴロゴロところがっていたといいます。
また別の話では、麻布十番の料理屋が仕出しを頼まれ、狸坂の民家に届けて、翌朝お勘定を取りに行くと、原っぱの真中に料理屋の皿が 置いてあり、その上には「木の葉」のお代が乗せられていたといいます。
土地の古老の話では、大正時代頃まで実際に狸が住みついていたといわれていますが、つい最近まで坂の途中には大木が生い茂っており、また、一昨年の11月に、この狸坂上と本光寺境内でハクビシンの生息が実際に確認されました。
- 近代沿革図集 : 猯坂(まみざか)・切通し坂とも
- 東京三五区地名辞典 : 宮村町と一本松町の境を西へ下る坂。かつて、坂沿いに大きな榎の木があり、根元の洞穴に狸が住んでいたことに因むとする説と、夜になると狸が出て、坂を通る人を驚かせたりしたことに因むとする説がある。一本松町から宮村町にかけての高台を切り通しして開かれた坂で、「切通坂」の別名がある。またかまりの急坂であるため、日の出の頃に坂下から見上げると、ちょうど坂の上から太陽が顔を出すことから、「旭坂」の別名がある。
最近、この狸坂下から十番商店街方面に抜ける道(江戸期には麻布山山塊と内田山山塊のせめぎあう谷間の道であることから「切通し」ともよばれていました。)は、「裏麻布ストリート」とも呼ばれているようで、この狸坂下のDining Bar「青いひみつきち」をはじめ数店の飲食店が提唱しているようです。
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