旧室風狂の事
今まで度々取り上げてきた「耳袋」から、今回は「旧室風狂の事」というお話をご紹介します。
宝暦(1751~64年)の頃まで俳諧の宗匠をしていた旧室(江戸の人。活々坊・天狗坊とも号した宗因派の中興者。 明和元年〔1764年]没72歳。奇行に富み、俳諧天狗話にその逸話を残す。) という人は、並はずれて背の高い異相の持ち主であり、面白い気性の持ち主でした。欲心は少しもなく、わずかばかりの衣服なども、時には人に与える事もあったそうです。
旧室は、ある日麻布近あたりの武家屋敷の門前を通りかかった時に、剣術の稽古の物音を聞いて、どうしてもやってみたいという気を起こしました。そして「稽古を拝見したい」と案内を乞い座敷へ通されます。しかし、旧室の風体は色の黒い大男であるため集まった者たちは互いに「天狗が懲らしめに来たに違いない」とささやきあったそうです。
その武家屋敷の主人は若年であり、相応の挨拶がなされた後に旧室は「とにかく竹刀で一本打ってみたい」と遠慮なく申し出ました。しかし「ここは道場ではなく、内稽古をしてるだけですから」と断られましたが旧室がさらに「たってお願いする」と願うので、仕方なしに立ち合う事になります。しかし元来俳諧の宗匠である旧室に武術の心得などあるはずもなく、ただ一振りの内にしたたか頭を打たれ、やがて座敷に上がりました。そして「やれやれ、痛い目にあった。硯と紙を所望したい」といって筆で
五月雨にうたれひらひら百合の花 旧室
と書き残して帰ったので、「今のがあの酔狂な旧室だったのか!」と大笑いになったという。
またある時、旧室は他の宗匠たちと一同に諸侯の元に呼ばれ、俳句の会を催して一泊しましたが、旧室はその寝所の床間に出山の釈迦の掛軸があるのをことさら褒めました。そして旧室がその掛軸に「賛をしたい」と言い出したので他の宗匠たちは、せっかくの掛軸を汚すのはもってのほかだと叱ったそうです。
そして他の宗匠たちが再三再四説得したので、旧室もその場は承知して寝ました。しかし、夜更けに起きて、黒々と賛を書いてしまいました。
蓮の実の飛んだ事いう親仁(おやじ)かな
このように旧室は愉快な僧でしたが、酒は怖いものです。ある日、本所の屋敷で行われた俳席から帰る際、「お送りしましょう」と言われたのを断ってひとりで帰ったところ、どこかで足を踏み外したものか、水に溺れて命を落としたといいます。
年末年始、主席が続きますが、皆様もどうぞお気をつけ下さい。
って、自分もですが(^^;
掛軸に賛をする→ 掛軸に俳句や自署を書き加える事。
蓮の実の~ →元気で無鉄砲な若者の形容。