明治初期に「錦絵新聞」というものが流行りました。これは、絵草紙屋が新聞記事の中から、殺人、痴情、美談、怪異などの庶民受けけする 題材を選んで、記事を付けて錦絵に仕立てて販売したもので、現代の写真週刊誌に似た性格のものといえます。「東京日々新聞」、「郵便報知新聞」は代表的な2大紙であり、さしづめ現代のフライデ-やフォ-カスといったところでしょうか。
①
写真①は郵便報知新聞9号の麻布区箪笥町で起こった、働きに出た妻の浮気に気づいた亭主が逆上して妻を斬殺して、自らも自害した事件を報じたもの。記事のほうも冷ややかで皮肉な調子。
写真②は郵便報知新聞463号(明治7年9月24日)からで赤坂溜池で起こった話。器量、資質ともに優れた学生中島某が酒色に迷い日々をすごしていたところ、馴染の芸者梅若に意見され、それまでをおおいに反省して以降勉学にいそしむようになったという美談。「泥中の蓮」とこの心根やさしい芸者を称えている。
写真③は「東京日々新聞」967号(明治8年3月24日発行)芝西応寺の米屋仙蔵方へ押し入った強盗2人を、夫唱婦随で退けた、あっぱれな怪力女房おせんの図。しかし別紙新聞によると事実 はかなり異なっていて、このいかにも重そうに担ぎ上げた米俵も実は、空であった。
これらの話を面白くするための誇張も、現代の2紙にそっくりです!
また、当時の新聞記事で明治時代の麻布近辺に関係した新聞記事も同様に怪しい話が満載です。
②
- 怪談蛙の祟り
- 明治の始めに金杉にあった劇場「川原崎座」は、もと戸田の屋敷跡で昔、屋敷の門前に国元から百姓が多数押しかけて強訴に及んだので、これらの百姓をことごとく門内に呼び寄せて残らず首をはねてしまった。その怨念が池に出ると噂していたが、この度池を埋めて川原崎座が建てられたので、開業の日に市川海老蔵が死去し、開業の初公演で大道具係りが怪我の上死亡、その後には市川団十郎が公演中に怪我、座元が証明書の関係で入牢したのもその祟りではと、土地の古老が語っている。(明治8年3/16)
- 狐と衝突
- ある薄暗く曇った日の早朝、大井村の安五郎という魚売りが御殿山から高輪近辺まで来たところ、ゴツンと音がして何かにぶつかった。みると狐が自分と衝突したショックで目をまわして倒れていた。安五郎は化かされてはと、大急ぎでその場を後にした。しかし、その後にやってきた同じ村の魚売りが倒れた狐を発見し、思わぬ獲物が手に入ったと狐を引きずって行って売り飛ばし、銭儲けをしたという。(明治16年9/3)
③
- 子供の損料貸し
- 最近子供を損料(賃貸)で貸したり、借りたりするのが低所得者の間で頻繁に行われ、料金は一日5~8銭と言う。これは乞食家業や、たわしなどを売り歩く際に子供づれだと人の憐れを誘い、実入りが良いのだと言う。貸す方もピ-ピ-泣かれたり、せがまれたりと足手まといのため、貸し出して幾分かの銭になれば一挙両得であるという。このような貸し出しは本所松坂町、四谷信濃町、麻布新網町あたりで行われていると、ある人は語った。(明治22年7/22)
- 泉岳寺の奇遇
- 日露戦争出征のため地方から東京に派遣され、品川からの渡航を待つ間の仮の宿舎となった泉岳寺に設営したのは大石良弼と言う名の大隊長以下47名。大石隊長はあの大石内蔵助の子孫との事で、懇ろに墓参りをしていたと言う。またこの兵士たちの雑事を受け持ったのも不思議と堀部安兵衛の末裔で堀部忠吉というものであったと言い、堀部は前にも四十七士の石碑建立にも尽力した。(明治47年3/26)