2013年2月3日日曜日

鳥居坂稲荷

現在の麻布地区総合支所にほど近い元の「鳥居坂ガ-デン」あたり(当時「るーてん」なんて店がありましたっけ)で、今は100円パ-キングとなっている駐車場の一角に金網のフェンスで囲まれた場所が、つい最近までありました
鳥居坂稲荷の鳥居
その中は草木が伸び放題で、中に何があるのかをすっぽりと隠してしまっていました。しかし、よく見るとこの中に朱色の鳥居があり「鳥居坂稲荷」と書かれていました。そしてその正面には荒れ果てた小さな祠があるが、出入り口の無いフェンスはその祠を囲んでいて、人の出入りを拒んでいます。さらに周囲を歩くと何とこの祠の由緒の書かれたプレ-トを見つけました。由緒書きによると、

この祠は江戸の頃十代将軍家治の時、天明8年(1788年)に甲州武田氏の末裔で信玄八代の子孫である野沢氏が笄橋から当地に移転した際に祀られたものだといいます。そしてこれは当時全国を襲い、このあたりの農民にも大被害をもたらした「天明の大飢饉」の終結と豊作を祈願して建立されたともいわれました。
しかしその後の時代の変遷のなかに埋もれてしまった祠は、昭和49年(1974年)鳥居坂ガ-デンが建設される際、この場所で信玄公との由緒が刻まれた石碑が発見され、昭和54年(1978年)2月鳥居坂ガ-デンがオ-プンしたのを期に再建され中庭テラスに祀られた。その際に芝愛宕青松寺の住職により盛大な鎮座祭典法要が営まれ、稲荷の正式名称を「鳥居坂稲荷大権現」とし別称を「飛行機稲荷」とした。祭日は初午の日とし毎年、青松寺の住職により法要が営まれたので「大権現」の称号であった。また航空安全を祈願した御守りをガ-デン内のフラワ-ショップが出していて、当時話題となったといいます。 そして、パイロットやCAなどの参詣が絶えなかったそうです。
鳥居坂稲荷社殿
このような小さな祠やお稲荷さん、お地蔵さんなどは、私が少年期を過ごした昭和40年代前半にはそこここに祀られていて、一番身近な神様でした。そしてそれらの神様が無くなると同時にに路地や細道なども姿を消していきました。
















江戸期の野沢邸




















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