鳥居坂稲荷の鳥居 |
この祠は江戸の頃十代将軍家治の時、天明8年(1788年)に甲州武田氏の末裔で信玄八代の子孫である野沢氏が笄橋から当地に移転した際に祀られたものだといいます。そしてこれは当時全国を襲い、このあたりの農民にも大被害をもたらした「天明の大飢饉」の終結と豊作を祈願して建立されたともいわれました。
しかしその後の時代の変遷のなかに埋もれてしまった祠は、昭和49年(1974年)鳥居坂ガ-デンが建設される際、この場所で信玄公との由緒が刻まれた石碑が発見され、昭和54年(1978年)2月鳥居坂ガ-デンがオ-プンしたのを期に再建され中庭テラスに祀られた。その際に芝愛宕青松寺の住職により盛大な鎮座祭典法要が営まれ、稲荷の正式名称を「鳥居坂稲荷大権現」とし別称を「飛行機稲荷」とした。祭日は初午の日とし毎年、青松寺の住職により法要が営まれたので「大権現」の称号であった。また航空安全を祈願した御守りをガ-デン内のフラワ-ショップが出していて、当時話題となったといいます。 そして、パイロットやCAなどの参詣が絶えなかったそうです。
鳥居坂稲荷社殿 |
江戸期の野沢邸 |
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