2013年2月4日月曜日

鳥居坂の「ゆり女」と弁天池

弁天池

天正18年(1590年)8月に徳川家康が江戸に入府した頃、芝丸山(現在のプリンスホテル・パークタワー隣)は「岸村」と呼ばれていました。その村に蓮池と呼ばれる池があり、池のまん中の島には幸稲荷と呼ばれた祠がありました。

この池は当時「さよが池」、「ゆりが淵」と呼ばれましたがその由来は、天正年間に「さよ」という女性が身を投げたために付いたといわれ、また別説には、やはり天正年間に麻布鳥居坂に住んでいた「ゆり」という女性が、夫の死を悲しみその葬儀が終わった後に、後を追って身を投げたといわれます。この池は私の芝の友人達にとって、麻布のがま池のような存在であったと言い、芝公園のザリガニ釣りといえばこの池と東京タワーが建つ紅葉山の滝付近をを指したそうです。昭和40年代頃までは池が少なからず原型を残していたそうですが、現在は底までコンクリートで固められた人工的な池となっていてその面影を求めるのは難しいかもしれません。

この池は現在「弁天池」と呼ばれていて、池のほとりには現在も港区七福神の弁天様(弁財天)を祀った宝珠院があり、寺の入り口には「開運出世弁辨才天」の縁起が記されています。





宝珠院弁財天

















弁財天由緒書

















江戸期の弁天池