東京で二番目に古いとされる(一番は金龍山浅草寺)麻布山善福寺にある推定樹齢770年、高さ35m、幹周り15mの大イチョウ。親鸞上人が立てた杖が、 そのまま地に生えてやがて大木となり、その形から逆さ銀杏とも、その成り立ちから御杖銀杏とも呼ばれました。このイチョウは都内最大幅で国の天然記念物に指定されています。
逆さ いちょう
昭和20年5月25日の空襲(山の手空襲)で本堂と共に罹災し、銀杏は完全な焼亡は免れましたが現在もその焼け跡が残っています。戦災の前は現在の3倍位の高さがあったという説もあります。
「江戸砂子」には乳の出が悪い母親が、この銀杏の皮で治療すると乳の出が良くなると噂され皮を剥ぐ者が後をたたなかったので、周囲に垣根を作って禁止したとあります。 また、江戸名所図鑑には親鸞上人が寺を去る際に持っていた杖を地上に刺し、
「念仏の求法、凡夫の往生もかくの如ききか」
というと杖が根付いたと伝わっているそうです。「逆さ」名の由来は、乳根(気根)が下のほうにさかさに伸びているように見えることからきているともいわれますが、 親鸞上人
が地面に差した折に杖が逆さまであったとの説もあります。樹横の説明板には、
国指定天然記念物善福寺のイチョウ所在地 港区元麻布一丁目6番21号 麻布山善福寺境内指定 大正15年10月20日イチョウ(銀杏・公孫樹)は、イチョウ科の落葉高木で、中国原産といわれている。雌雄異株で、神社や寺院の境内樹、公園樹、庭園樹、街路樹として広く植栽されている。4月に開花し、10月には種子(イチョウノ実)は成熟して独特の臭気を放ち、黄葉する。 この木は雄株で、幹の上部が既に損なわれているが、幹周りは10.4mあり、都内のイチョウの中で最大の巨樹である。樹齢は750年以上と推定される。 善福寺は、昭和20年の東京大空襲によって本堂が全焼した際、このイチョウの木にもかなり被害があったが、いまなお往時の偉観をうかがうことができる。 根がせり上がって、枝先が下に伸びているところから「逆さイチョウ」ともいわれ、また、親鸞聖人が地に差した杖から成長したとの伝説から「杖イチョウ」の別名もある。平成2年12月27日 建設 東京都教育委員会
光福寺の大銀杏 |
とあります。また麻布山善福寺中興の祖といわれる了海上人誕生の地である大井山 光福寺(品川区大井6-9-19)には了海上人手植えの逆さ銀杏の兄弟樹があり、 光福寺の大銀杏と呼ばれて昔から猟師の目印として活用されていました。幹周6.4m、樹高30m、樹齢は推定800年。この樹も品川区の天然記念物に指定されており、逆さイチョウが都内最大樹種別幹周最大であるのに対してこちらの光福寺の大銀杏も都内9番目といわれています。
此杉はかれたるよし、一株もなし。
★杖銀杏-続江戸砂子
麻布山善福寺。西派、寺領十石、雑色町。杖銀杏本堂の左の方にあり。親鸞上人の杖也。祖師当所に来り給ふ時、此法さかんになるへくは此杖に枝葉をむすふへしと、庭上さしおかれし所の木なり。 今大木となりて、枝葉しけりたり。乳なき婦人、此木以治療すれば奇端ありとて、樹を裂事おひたゝしくして、枝葉いたむにより、垣をしてその事をいましむ。今は祖師の御供をいたゝくに、乳なきもの、そのしるしありとそ。右の方、開山堂の前にあり。親鸞上人杖を逆にさし置かれし所の木也。よって逆銀杏ともいふ。★杖いてう-江戸鹿子
光福寺解説板
あさぶに有。親鸞上人関東下向の時、誓ていわく、もし我宗旨広らば此杖枝葉あれと言て、杖をたてゝ皈りたまふ。其杖枝葉しけりて今に此地に有。婦人の乳の出ざる者、此木にて療すれは奇端ありと云。
余談となりますが、麻布山善福寺にはこの逆さイチョウの他にもう一つ銘木がありました。本堂裏山には楊枝杉と呼ばれた杉の木があり、 江戸期の書「続江戸砂子」には、
是は弘法大師廻国の時、やうしをさし給ふに、此杉七株わかれて大木となる。その梢に白き麻布の旗のことくなるもの一流ふりくたる。よって当所を麻布といふと也。そのゝち木奇端多くあるにより、天台の霊場とす。此杉はかれたるよし、一株もなし。▲此麻布の説、甚誤也。麻生の地名は、よく麻の生る地にて、布の事にはあらす。又麻茅生(あさじふ)といひて、草の浅々と生る地をいふとも云。これは浅生(あさふ)也。古来の御図帳には麻生と書しよし、古老申侍也。とあり、「あざぶ」の語源となったと思われる「麻降る山」の伝説を残しています。しかしこの続江戸砂子に、
とあるように同書が書かれた享保十七(1732)年にはすでに枯死していたようで、残念ながらこの杉の木は現存していません。
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