場所、木銘 | 出典 | 種類 | 現住所 | 備考 |
宇米茶屋 | 江戸名所花暦 | 白梅 | 白金2丁目1-3 | 麻布三子坂にあり。一重の白梅なり。正月下旬盛りなり。外よりは遅し。古木なり。遊行陀阿一海上人、この梅に題して歌あり。この花の白かね名に高く 千歳をこめてみのるとこうめ
また江戸名所図会に「梅か茶屋」と紹介されている。 |
麻布竜土組屋敷 | 江戸名所花暦 | 梅樹 | 六本木7-9 | 麻布竜土組屋敷とは御先手組屋敷の事。立春より6、70日目。梅樹、家ごとの入り口にあるもあり。または後園にあるもあり。 |
木下候庭中 | 江戸名所花暦 | 彼岸桜 | 南麻布5-8 | 木下候とは木下肥後守の事。麻布広尾にあり。幹の太さふた抱え半、南北へ廿一間壱尺余、東西へ十九間余、たゝ小山に行きをおひたるかことし。花の頃は見物をゆるされしか、近頃止られたり。 |
慈眼山光林寺 | 江戸名所花暦 | 彼岸桜 | 南麻布4-11 | 麻布新堀はた。当時はもと市兵衛町の辺にありしとなり。此境内に大樹あり。したれたる枝は、地につきて滝の落つるかことし。此花の色、成子乗円寺の花によく似たり。この光林寺の前、新堀のむかふをすえて広尾の原と唱え、桜の咲いつる頃よりして、貴となく、おもひおもひのわりこ、酒肴をもたらし来り、毛氈、花むしろをしき、ここまとゐし、かしこにたむろして打興するありさま、天和の頃の光景を思ひいつるはかりなり。 |
三縁山増上寺 | 江戸名所花暦 | 彼岸桜 | 三縁山増上寺。(芝公園4-7) | 芝切通しより赤羽根への通ひ路、近きころ開けし道筋、左右に桜樹夥しく植えたり。(芝切通しとは今の正則学院と青竜寺の間の道。) |
糸桜 | 続江戸砂子 | 桜 | 増上寺(芝公園4-7) | 三縁山広度院増上寺。芝林壇、寺領一万五百四十石。廿四日御仏殿の前。(廿四日御仏殿は二代将軍火秀忠の霊廟。現芝ゴルフ敷地内) |
拾ひ桜 | 続江戸砂子 | 桜 | 南青山2-26 | 長普山宝樹寺梅窓院、知恩院末、青山。第二世峰誉上人、門前にて苗木を拾ひ、てつから植えられしと也。今は大木となる。類ひなきしたれさくら也。
留主に居る人へひろはん花さくら(岸村涼宇) |
泰山府君桜 | 続江戸砂子 | 桜 | 三田2-15 | 三田松平主殿頭殿御館にあり。八重桜の速き花也。桜町中納言成範卿、花のさかりの短きをなげき、桜のため泰山府君の祀りを行はれしより此名ありと也。 |
八入(やしおの)楓 | 続江戸砂子 | 楓 | 三田2-15 | 三田松平主殿頭殿御館にあり。前に云桜と此二樹、羅山子東明集に詳也。八入と云は、物を一度染るを一入(ひとしお)といふ。二たひ染るを二入と云り。紅楓の色、八度の染色に比す故八入と称す。 |
幸稲荷の辺 | 江戸名所花暦 | 不如帰 | 芝公園3-5 | 芝切通しのうへなり。増上寺の梢青葉さすころは、一声も二声もきこゆるといへり。 |
愛宕山愛宕神社 | 江戸名所花暦 | 雪 | 芝愛宕町1-5 | 芝にあり。この山上より雪中に見おろせは、各藩につもれるゆき、綿をもって家居をつくれるに似たり。遥に望は、安房、上総の山々、片々たるうちに見ゆ。本尊は行基の作にして、勝軍地蔵なり。毎月弐四日は四万六千日と号して、参詣殊に群集す。此日境内にて、青きほうずきを食む。小児に呑するときは、虫の病の根を切ると云ならはせり。 |
高輪 | 江戸名所花暦 | 雪 | 高輪二丁目近辺 | この海岸の酒楼より海上を望む時は、雪の粉々たるありさま、他に比する処なし。 |
壱本松 | 江戸鹿子 | 松 | 元麻布1-3 | あさぶに有。そのかみ天正のころをひ、嫉妬ふかき女房此松を植て人を呪詛しけるとなり。又説には此木、塚の印の木なりと云。伝未た明ならす。 |
一本松 | 続江戸砂子 | 松 | 元麻布1-3 | 一名、冠の松と云。あさふ。大木の松に注連をかけたり。天慶二年六孫経基、総州平将門の館に入給ひ、帰路の時、竜川を越えて此所に来り給ひ民家致宿ある。主の賤、粟飯を柏の葉にもりてさゝぐ。その明けの日、装束を麻のかりきぬにかへて、京家の装束をかけおかれしゆへ冠の松といふとそ。かの民家は、後に転して精舎と成、親王院と号と也。今渋谷八幡東福寺の本号也。又天正のころ嫉妬ふかき女、此松に呪詛して釘をうちけり。夫よりしうとめのしるしの松と云り。又小野篁のうへられし松と云説も有。一本松に経基王の来歴、わかりかねたる文段也。説も亦とりかたし。病をいのるとて、竹筒に酒を入れてかくるといふ。此松、近年火災にかゝりて焼けぬ。今は古木のしるしのみありて、若木を植そへたり。 |
銭懸松 | 続江戸砂子 | 松 | 所不詳 | 麻布にありと古書に見えたり。尋ぬるにしれす。所の人の云、天真寺に古木あり。それなるへしといふにより、寺に入て尋ぬるにしらすと云。当寺本堂の前に控なる大松の朽木の三抱もあらん、根より一丈はかりありて梢はなし。疑らしくは是ならんか。(天真寺は南麻布3-1) |
円座松 | 続江戸砂子 | 松 | 増上寺(芝公園4-9) | 増上寺山下谷。山下谷とは今の芝公園4-9、10あたり一帯。松は現存せず。 |
朝日松 | 続江戸砂子 | 松 | 芝西応寺(芝2-25) | 田中山相福院西応寺、増上末、寺領十石、本芝。朝日の松、けさかけ松、火除の松、いつれも境内にあり。宝暦の末、当寺回禄にかゝりて此松も焼たりとそ。 |
袈裟懸松 | 続江戸砂子 | 松 | 芝西応寺(芝2-25) | * |
火除の松 | 続江戸砂子 | 松 | 芝西応寺(芝2-25) | * |
綱駒繋松 | 続江戸砂子 | 松 | イタリア大使館(三田2-4) | 綱が駒繋松、松平隠岐守殿中屋敷の内にありと云。 |
三鈷の松 | 続江戸砂子 | 松 | 高野山東京別院(高輪3-15) | 高野寺、正輪番、紀州高野山宿寺、二本榎。三鈷の松境内にあり。糸桜、大木の枝たれ也。現存せず。 |
鐘鋳の松 | 続江戸砂子 | 松 | 品川区北品川4-7 | 品川御殿山。御殿山の北手にあり。増上寺の撞鐘を鋳たる所のしるしにうへたる松也。 |
二本榎 | 江戸鹿子 | 榎 | 高輪1-27 | 白銀原高野寺正覚院のかたわらに有。(正覚院の傍にあったとは、誤りという説もある) |
印榎 | 江戸鹿子 | 榎 | 赤坂1-11 | 赤坂溜池の上に有。むかし此池の奉行人、此榎木をうへて、その時の委細を此木にしるすとかや。よって印の榎とよぶとかや。 |
印の榎 | 続江戸砂子 | 榎 | 赤坂1-11 | 溜池の堤にあり。むかし浅野幸長、欽名ありて、此所の水をつきとめたり。幸長の臣、矢島長雲奉行し、さまざまのおもんはかりを以、水をつきとめぬ。主人幸長の公用の印、又長雲か子孫まてのためとて、榎を多く植えたり。大かたは枯れて、今2、3株あり。 |
杖いてう | 江戸鹿子 | 銀杏 | 麻布山善福寺(元麻布1-6) | あさぶに有。親鸞上人関東下向の時、誓ていわく、もし我宗旨広らば此杖枝葉あれと言て、杖をたてゝ皈りたまふ。其杖枝葉しけりて今に此地に有。婦人の乳の出ざる者、此木にて療すれは奇端ありと云。 |
杖銀杏 | 続江戸砂子 | 銀杏 | 麻布山善福寺(元麻布1-6) | 麻布山善福寺。西派、寺領十石、雑色町。杖銀杏本堂の左の方にあり。親鸞上人の杖也。祖師当所に来り給ふ時、此法さかんになるへくは此杖に枝葉をむすふへしと、庭上さしおかれし所の木なり。今大木となりて、枝葉しけりたり。乳なき婦人、此木以治療すれば奇端ありとて、樹を裂事おひたゝしくして、枝葉いたむにより、垣をしてその事をいましむ。今は祖師の御供をいたゝくに、乳なきもの、そのしるしありとそ。右の方、開山堂の前にあり。親鸞上人杖を逆にさし置かれし所の木也。よって逆銀杏ともいふ。 |
楊枝杉 | 江戸鹿子 | 杉 | 麻布山善福寺(元麻布1-6) | これも親鸞上人のさし給ふのよし。山中に有て、岩の中より生したる木也。 |
楊枝杉 | 続江戸砂子 | 杉 | 麻布山善福寺(元麻布1-6) | 是は弘法大師廻国の時、やうしをさし給ふに、此杉七株わかれて大木となる。その梢に白き麻布の旗のことくなるもの一流ふりくたる。よって当所を麻布といふと也。そのゝち木奇端多くあるにより、天台の霊場とす。此杉はかれたるよし、一株もなし。▲此麻布の説、甚誤也。麻生の地名は、よく麻の生る地にて、布の事にはあらす。又麻茅生(あさじふ)といひて、草の浅々と生る地をいふとも云。これは浅生(あさふ)也。古来の御図帳には麻生と書しよし、古老申侍也。 |
颯灑(うなり)柳 | 続江戸砂子 | 柳 | 麻布山善福寺(元麻布1-6) | 麻布山善福寺。西派、寺領十石、雑色町。うなり柳。古木はかれて若木也と云。清水のかたはらの柳といへり。来歴しれす。 |