1999年の夏に麻布でサルが逃げ回っていたのをご記憶の方も多いと思いますが、それ以前にも明治時代?竹谷町で起きた猿助騒動、大正時代ころまで実際に住んでいたといわれる狸坂のたぬきなど麻布と動物は縁が深いようです。今回はそんな麻布にキツネが出たというお話です。
1966(昭和41)年1/29付朝日新聞朝刊に、
「化けそこねた"泥棒キツネ~麻布で野犬捕獲器にかかる」
きつねイラスト(参考) |
と題した記事が掲載されているのをみつけました。
記事によると麻布宮村町72番地(旧麻布保健所近辺)専売公社宮村寮近辺で、前年の夏ころから頻繁に各家庭で飼っていたニワトリが襲わるようになりました。寮の被害はシャモ5羽、またある家では十数羽全滅と襲われ続け、ついに近隣住民より麻布保健所に捕獲が依頼されることになりました。
当初野犬の仕業だと思った保健所は牛肉をぶら下げた捕獲器を設置したが、なにもかからず捕獲に失敗します。そして事件ははこのまま迷宮入りかと思われたころ、近所の子供が「キツネを見た」と言い出しました。だが周囲の大人たちはいくら何でも、こんな都会の真ん中でキツネなどいるはずがないと、まるで信じようとしなかったそうです。しかし保健所の技師の一人が「襲い方が犬とは違う」、「ニワトリばかりが狙われる」「骨まできれいに食べられている」と野犬説に疑問をいだき、生の鶏肉を捕獲器にセットしてある日の夕方裏の斜面に仕掛けました。すると早速、その日の夜8時ころに捕獲器に捕らえられ大暴れしている生き物を発見します。そして技師が近寄ってみるとそこには体長1.5メートルほどのキツネが捕獲されていたそうです。
当時小学校2年生であった私はこの寮のすぐそばに友人が住んでおり、頻繁に家にもお邪魔していましたが、この事件のことはまったく記憶にありません。そして私にとってはキツネがいたということよりも、宮村町の中でも割と高級な住宅街でその餌となったニワトリの飼育をしている家が多かったという事の方に驚きます。
記事を読んで、このあたりは狐坂からもそう離れていないので、もしかしたら昔から住み続けていたキツネかと一瞬思いましたが、残念ながら記事には、
「捕獲されたキツネは首輪をしている」とあり、どこかで飼われていたペットのキツネであることが記されています。そして記事は最後に「捕獲したキツネは動物園に寄贈したい」と締めくくっており、この事件をまったく知らずにいた私も、遠足で上野か多摩の動物園に行った際、出会っていたのかもしれません。
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