2013年6月26日水曜日

麻布の私塾、寺子屋、小学校、代用小学校

明治8年6月市兵衛町に設立された第二中学区第一五番小学麻布学校は麻布区で最古の公立小学校ですが、それ以前の教育は、私立の寺子屋・私塾などに依存していました。以下に、麻布辺の私塾、寺子屋、代用小学校、小学校などをご紹介します。


◆私塾、寺子屋

名 称学科所在地開業廃業教員生徒隆盛期、備考調査年代身分校主、塾主
私塾端 塾漢学谷町嘉永5年明治11年男6名男300名安政明治4年武士林 鶴梁
明霞書院漢学材木町天保4年明治10年男1名男32名慶応明治4年武士宮崎 誠
乾々塾漢学飯倉片町嘉永3年継続男1名男60名、女4名元治明治4年武士岡 壽考
時中堂漢筆本村町明治4年継続男1名男5名、女10名明治4年明治4年平民稲村虎三郎
芙藻館漢学芝森元町明治初年男1名男35名、女7名天保13年明治元年武士服部 元彰
繕生塾西洋医学芝森元町2丁目嘉永5年明治5年男1名男70名明治4年明治5年武士山元 照明
雪丘樓漢学永坂町安政4年慶応3年男1名男20名文久元年慶応3年平民菊地誠一郎
尚白舎漢学永坂町明治3年継続男1名男20名明治4年平民菊地貴一郎
漢学青山裏百人町弘化3年文久2年男1名男20名文久2年武士山井璞輔
六本木男1名男30名、女5名慶応元年武士山村 葆
寺子屋三峡堂読算永坂町弘化三年継続男1名男150名、女135名明治4年平民百瀬為芳
龍昇堂読算芝森元町文化8年継続男?名、女1名男19名、女22名明治4年平民寺田コト
龍嘯堂読算新網町二丁目弘化元年継続男1名、女1名男20名、女25名明治4年平民辻 兵作
三栄堂読算飯倉六丁目文政12年継続男1名、女1名男32名、女20名明治4年平民小暮寅三郎
望雪洞桜田町明治4年明治10年男1名、女1名男75名、女25名明治4年神官佐々木義隆
柳花深慮今井町明治4年明治七年男1名男35名、女15名明治4年早川義道
読算材木町天保3年継続男1名、女1名男38名、女25名明治4年平民早川信成
龍松堂読書新龍土町慶応元年明治7年男1名男30名、女25名明治4年平民小菅重次郎
幼童学所読算飯倉三丁目明治3年明治16年男4名、女3名男127名、女152名明治4年平民吉田東功
三光堂算術網代町明治2年明治6年男1名男31名、女20名明治4年武士神田鐘太郎
読算宮下町弘化2年継続男?名、女1名男80名、女120名慶応3年武士磯 セイ
龍暁堂算術本村町慶応2年明治13年男1名男30名、女23名明治4年中川頂玄
大隈堂宮村町文久2年継続男1名男5名、女5名明治4年武士山本西淳


明治8年6月には、麻布区で最初の小学校である第二中学区第一五番小学麻布学校が麻布市兵衛町に創立されます。続いて明治9年12月には 麻布宮村町に第二中学区第27番南山学校が、明治11年10月には芝森元町に第二中学区第**番飯倉学校が設立されました。またその他、学校の統廃合も行われました。明治13年12月にそれまでは、学校の維持、資金調達を各校が独自で行っていたものを麻布区議会が号外議案として麻布区公立学校維持仮条例を議決し、以降各小学校は区の管轄、所有になりました。以下は当時の小学校。



◆小学校
名 称所在地創 立備 考
麻布小学校麻布市兵衛町明治8年6月1日麻布区初の小学校。昭和8年11月麻中小学校と合併し飯倉町に移転。
南山小学校麻布宮村町明治9年12月17日暗闇坂東側で創立して、現在の六本木高校敷地に移転、さらに現在地に移転する。それぞれの校舎は暗闇坂校舎、藤棚校舎(校庭に藤棚があったため)と呼ばれた。
飯倉小学校麻布飯倉町明治11年12月28日飯倉小学校廃校-2004(平成16)年
三河台小学校麻布三河台町明治35年4月1日大正5年に生徒数が激増し1、2年は2部授業に。昭和10年新校舎に移転。
本村小学校麻布本村町明治35年4月15日創立当時は民家もまばらで児童数も128名であったが、明治38年には600名あまりに達した。このため同年3月に校舎を増築し、翌年高等小学校も併設。大正14年に補助学級、昭和5年に養護学級を設置。
笄小学校麻布笄町明治40年1月12日創立当時、周りは田んぼであったと言われる。大正2年より2年生が2部授業に。さらに大正5年には1、2、3学年が2部授業に。大正11年10月に特別児童促進学級(のち補助学級)を設置。
東町小学校麻布東町大正2年11月14日設立当時の児童数は607名、学級数11。大正12年9月の関東大震災で被害を受け、10月9日まで休校。
麻布高等小学校麻布宮村町明治41年4月1日明治40年の小学校令により新設された。設立当時校舎は無く、三河台小学校に間借りし、明治42年麻中小学校の一部を借りた。その後三河台小学校跡地をへて南山小学校跡に移転。昭和6年に鉄筋コンクリ-ト3階建て新校舎が完成し各小学校に分散していた児童を収容。
麻布新堀小学校麻布本村町明治42年6月21日東京市が細民子弟教育のため市立として創立した小学校。当初、台南小学校と称したが後に絶江小学校と改めた。これは、代用小学校の慈育小学校幹事の絶江宗育氏から起こした名と思われ、この代用小学校の事業を継承したことが伺える。大正15年東京市から麻布区に移管され一般小学校となり麻布新堀尋常小学校と改称した。しかし 本村、東町小学校と接近していたため児童数が減少し昭和7年3月31日に廃校となった。私見ではあるが、元細民子弟の学校であったので、親もあまりこの学校に通わせたがらなかったと思われ、それも廃校になる要因の一つであったと思われる。

明治14年6月文部省は従来の「学区」を廃し、あらたに郡区による学区と改めたので麻布区は1学区となります。明治15年文部省は小学校教則綱領を定め、小学校を初等(3年)、中等(3年)、高等(2年)としました。これを受けて麻布区は臨時区議会で麻布小学校を高等小学校として区内共通とし、併せて初等学科を置きました。中等は、南山と飯倉小学校として、やはり初等学科を付属しました。しかしこれにより初等から高等までの間、最低2校、多い児童は3校に通学せねばならなくなり、煩雑さから不就学児童を生み出す要因ともなったようです。

明治19年4月に小学校令が発布され、中等が廃止されて尋常、高等の2科になりました。そしてこの法令により、区町村はすべての学齢児童を 就学させるに足りる尋常小学校の設置を義務づけられたのですが、麻布区においても尋常小学校の数が絶対的に不足していたので、条例で許された私立の小学校を代用することに決定します。以下はその代用私立小学校(明治27年調査)。




◆代用私立小学校
名 称所在地教室坪数校庭坪数学科、学級数児童定員(現児童数)教員創立設立者寺子屋当時の名称
宮下小学校麻布宮下町5050尋常(3)、高等(1)198(191)、44(34)3明治7年4月飯塚 せい
小暮小学校麻布飯倉町46.563尋常(2)、高等(1)168(110)、32(30)3明治6年1月小暮寅三郎三栄堂
庭訓小学校芝森元町229尋常(1)110(411明治6年3月寺田 琴龍昇堂
辻 小学校芝北新門前町28.215尋常(1)123(44)1明治6年1月辻 兵作龍嘯堂
山本小学校麻布宮村町2450尋常(2)102(88)2明治6年4月山本西淳大隈堂
三台小学校麻布三河台町2329尋常(1)115(87)2明治10年11月内山真心
谷 小学校麻布箪笥町39.5尋常(2)112(84)2明治18年9月黒崎 信
培根小学校麻布飯倉町4117.1尋常(1)192(74)1明治18年12月吉田東功幼童学所
慈育小学校麻布本村町5412尋常(4)273(273)4明治20年9月絶江宗育(幹事)