幕末の麻布周辺(芝、三田も含めて)には外国施設が多くありました。 これは後に「港区」と呼ばれるように、海が近かったため、品川などに停泊している自国の船(軍艦など)に有事の際に移動するために便利であり、なおかつ江戸城にも程近かったためと思われます。
現在も大使館などが数多く存在しますが、震災・火事などの災害を考え、建物の密集した都心よりやや郊外のおもむきの残る麻布近辺が安全と考えたためとも思われます。以下は幕末における麻布周辺の外国施設。
幕末の外国施設 名称 場所 所在地 開館 備考 アメリカ公使館 麻布
山元町善福寺 安政6年
1859年
6月8日公使ハリスが本堂を住居とし公使館を設置。通訳ヒュ-スケンが攘夷派により暗殺される。攘夷派の襲撃により書庫が焼失。 アメリカ代理公使宿舎 三田
北寺町大松寺 慶応2年
6月11日代理公使ポ-トマンの専用宿舎。 イギリス公使館① 芝高輪 東禅寺 安政6年 公使オ-ルコックが滞在。攘夷派の襲撃事件2回。日本人通訳伝吉の殺害。 イギリス公使館② 芝高輪 泉岳寺 慶応元年
1865年公使パ-クスが滞在。攘夷浪士の襲撃回避のため高輪接遇所と称した。 フランス公使館 三田台 済海寺 安政6年
8月26日公使ベルク-ル、全権公使ロッシュが滞在。 フランス付属宿舎 三田台 大増寺 安政~ 幕府外国奉行と代理公使ベルク-ルが会談。 フランス副領事宿舎 三田台 実相寺 安政6年
12月15日副領事メルロが居館として使用。 フランス公館 三田台 正泉寺 安政6年
11月22日フランス総領事館通弁ジュ-ルが居住。スイス総領事リンドウ、イギリスのア-ネスト・サトウも使用。明治43年目黒区碑文谷に移転。 オランダ、ロシア、フランス使節の宿館 芝愛宕 真福寺 安政5年~ プチャ-チン(ロシア)、グロ-(フランス)、クルチウス(オランダ)などが滞在。 オランダ公使館① 芝
西応寺西応寺 安政6年
9月公使クルチウスが滞在。イギリス人エルジン伯も一時滞在。薩摩藩邸焼き討ちで類焼した。 オランダ公使館② 芝
伊皿子長応寺 慶応3年
1867年
12月芝西応寺が薩摩藩邸焼き討ちで類焼したのでオランダ公使館は伊皿子長応寺に移転。スイス使節団が滞在。写真家F.ベアトの江戸におけるアトリエが設置されていた。1902(明治35)年寺は北海道に移転した。 プロシア公使館 麻布
本村町春桃院 慶応元年
1865年
4月神奈川領事フォン・ブラントが江戸滞在に使用。 ロシア使節宿舎 三田
小山町天暁院
大中寺安政6年
7月21日通商条約批准の際、函館領事ゴシケビッチ、ムラビヨフが滞在。イタリア使節も使用。現存せず。 外国人旅宿 麻布
飯倉町赤羽接遇所 安政6年
8月各国が条約批准などで滞在。シーボルト父子も滞在。詳細はこちらをどうぞ
追記:
オランダ公使館は安政六(1859)年9月1日に芝西応寺に公使宿舎が設置され、初代公使クルチウスらが駐在しました。
しかし、慶応三(1867)年1十二月二十五日に起きた幕府による薩摩藩邸焼き討ちで隣接していた西応寺も類焼。
オランダ公使館は伊皿子長応寺に移転。
プロシア公使館は慶応元(1865)四月高輪広岳院に定められますが、翌慶応二(1866)三月麻布仙台坂の春桃院に移転します、
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