2013年2月1日金曜日

池袋の女

岡本綺堂の著書「風俗江戸物語」~江戸の化け物にある話で、綺堂の父が実際に聞いた話であり、江戸の代表的怪談の第一としてとりあげている麻布龍圡町・内藤紀伊守の下屋敷で起きたといわれる事件をご紹介します。

江戸の頃、日向延岡藩7万石・内藤紀伊守の下屋敷で麻布龍土町(現在の港区六本木七丁目六-八あたり)、ある夜、何処からともなく蛙がたくさん出てきて寝所の蚊帳の上に乗り寝ていた女達を驚かせ、そして次に屋敷が大きく揺れて大騒ぎとなったそうです。下屋敷には女子供が多く、怯えきってしまったので、異変を聞いた上屋敷から藩士達が駆けつけて原因を調べましたが判らず、藩士が不寝番をして様子を見る事となりました。

六本木交差点付近の延岡藩内藤家屋敷
そして夜がふけた頃、不寝番がついうたた寝を始めると今度はどこからともなく石が落ちてきました。これは狐狸の仕業とある藩士が鉄砲を取りに行こうとすると、再び落ちてきた石が眉間にあたり、倒れてしまいました。次に他の藩士が行こうとすると今度は頭に石が当ったので、それを見た他の者が石の落ちてくる天井を見上げたとたんに畳から火の手が上がったので、皆居すくんでしまったそうです。
こんな事が3月ほど続いて調べていると、出入りの者と密通している池袋から来た女中があったので即座に解雇すると、それきり何も起こらなくなったといいます。

いまでは大変な地域差別のような話ですが、江戸時代頃には池袋生まれの女性を女中などとして使っていて、その女性の身に間違いが起こると、その雇い主の家に異変が起こるので、武家の屋敷などでは絶対に雇わなかったということです。
また、商家でも雇うのをためらう所が多かったので「池袋の女性」は生まれを板橋、雑司ヶ谷などと偽って奉公しなければならなかったといい、これは池袋の女が七面様の氏子であるための祟りだという言い伝えが残されているそうです。
また同様の話として「耳袋」では池尻生まれの女性についての異変話もあり、いづれも同地生まれの女性にとって迷惑な迷信であったと思われます。

綺堂はこの江戸の化け物で他に、「不忍池の大蛇」「牛込の朝顔屋敷」「河童」などと供に「がま池」の由来も紹介しています。






 
 
 




内藤家屋敷今昔