2013年1月18日金曜日

賢崇寺境内の崖崩れ

大正10年(1921年)10月10日、それまでの豪雨により地盤の緩んだ賢崇寺境内で、正午過ぎ頃に高さ30尺幅40間にわたり轟音と共に崖崩れが発生し、これにより崖下にあった民家4戸が埋没し8戸が倒壊しました。

興国山賢崇寺

発生直後に坂下町会、警察、区役所、在郷軍人、消防隊などによって救助活動が始められ、次々と罹災者を救出しましたが崖に一番近かった家から4名、その隣家から3名の死者が出る大惨事となりました。

この災害に対し坂下町町会が300円、鍋島家が7千円、その他3700円の見舞金が集まり、一番近かった家の遺族に4500円、その隣家の遺族に3500円その他の災害者にも見舞金が贈られました。そして10月13日、麻布山善福寺において合同葬が盛大に営まれ、被害者の冥福が多くの人によって祈られました。なおこの災害によって坂下町町会役員は約1ヶ月間不眠不休の活動を続け、その副次的な産物として町会内に青年団が結成されたとあり、この頃から町会青年団が結成され、やがて関東大震災などで活躍することとなります。








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