2013年6月4日火曜日

上杉家あき長屋怪異の事

今回も引き続き「耳袋」からの不思議をご紹介します。
作者根岸鎮衛は、 上杉家の上屋敷(霞ヶ関1丁目、現法務省)か中屋敷(麻布台1丁目、現外務省飯倉公館)、下屋敷(高輪)かは忘れたが最近あった話として、

ある藩士が交代により在所より江戸に来て藩邸の屋敷内に長屋を探しましたが、生憎長屋はみなふさがっていたそうです。一軒だけ空いてはいるが、その長屋は異変が多く起こり、住んだ者は皆自滅したり、身分が立ち行かなくなってしまい、誰も住まなくなって主君の耳にも達するほど評判の長屋であったそうです。しかしその話を聞いた藩士は、そんな噂を全く気にすることもなくその長屋に住みたいと願い出て許されました。するとある夜、一人の老人が出て、書見台で本を読んでいた藩士の前に座ります。しかし藩士はその老人をちらっと見ただけで変わらずに読書を続けていると、今度はその老人が飛び掛って来ようとしたので取り押さえて、

「何者だ。何故ここにいる!」

と、問いただすと老人は、

「私は永くここに住む者だが、ここにいるとあなたの為にならない」

と言ったので、藩士は大声で笑いながら

「私は屋敷の主人よりこの長屋を給わって住むことになったが、あなたは誰の許しを得て住んでいるのか」
と問い掛けると、老人は答えに窮して

「まったく申し訳ない」

と答えました。それを聞いた藩士は

「これからは心得違いをしてはいけない」

と、取り押さえていた膝を弛めると、老人は消えてしまったそうです。その日から2、3日が過ぎて屋敷の目付けと名乗るが供を連れて長屋に来訪し、主人の言いつけだとしてその藩士に面会を望んだそうです。藩士は主命と聞き、衣服を改めて面会すると

「その方にに不届きがあって、きついお仕置きがあるかもしれない事を聞いている。しかし、私の一存で仕置きが決まるのだが」

と目付は言いました。すると藩士は

「承知いたしました。しばらくお待ちください。」

と言ってその場を辞して、勝手にいた召使を呼び、近辺に住む同輩を呼んで陰から目付をのぞかせました。しかし誰もその目付を知っている者がいなかったので、藩士は皆に棒等を持たせて待機させると、座敷に戻りました。そして目付に向かい、

「仰っている事はよく解りました。しかし、よく考えてみるとお叱りを受ける心当たりが全くありません。また、在所より出てきたばかりなのであなた様を存じ上げませんが、屋敷内の何処に住んでいて何年お勤めをされているのか伺いたい」

と言うと

「主人の命により詰問に来たので、そんなことには答える必要がない」
と言ったので

「そう仰ると思って、屋敷内の他の者達を呼んであります。しかし誰もあなたを知りません。この侵入者め!」

そう言うと藩士は刀に手をかけました。すると目付は驚いて逃げ出したので抜き打ちに斬りつけると、手傷を負って目付を名乗っていた物は元の姿をあらわし、さらに隠れていた近所の同輩にもしたたか叩かれて逃げ去ったそうです。そして、その後にこの長屋で異変が起こることは、なくなったといいます。












飯倉の上杉家と周辺












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★関連項目

麻布っ子、上杉鷹山

赤穂浪士預け入れ大名邸考 
・ 赤穂浪士の麻布通過
麻布の吉良上野介

・ 耳袋の中の麻布

続・耳袋の中の麻布