今回も引き続き「耳袋」からご紹介。
明和の頃(1764~72年) 、芝口2丁目(日比谷)にあった伊勢屋久兵衛の使用人勘七は日頃から商いに精を出し、主人からも大変に信頼されていました。しかし彼の唯一の欠点は酒が過ぎてしまう事だったそうです。
ある日、勘七は出入りの屋敷で集金を終えて70両ほどを財布にいれ、その日はその屋敷に祝い事があったので、家の者から酒を薦められるうちに元々酒好きがこうじてをつい過ごしてしまいます。すっかり酩酊して屋敷を辞した勘七は、小唄などを唄いながらふらふらと歩いていると、芝切通し(増上寺裏手、芝高校あたり)で夜鷹(街娼)が袖を引いてきました。真面目な勘七は、普段ならそのまま行過ぎてしまうところだが、酒の力も手伝ってその日はつい夜鷹の求めに応じてしまったそうです。
その後、酩酊したままやっとの事で家に戻った勘七は、そこではじめて財布が無くなっている事に気がつき青くなりました。落としたのでは?っと、今来た道を再び戻り懸命に探したが見つかりません。ついに芝切通しあたりまで戻りましたが、すでに夜も更けていたので先ほどの夜鷹もいませんでした。途方にくれた勘七は再び道を探しながら戻りますが、やはり財布は見つからなかりませんでした。
勘七はその足で店に戻ると、主人久兵衛に財布を落として売上金を無くしてしまった事を正直に話しました。それからの勘七は食事も喉を通らなくなり、日頃の忠勤を知っている主人久兵衛の静止も上の空で、死ぬ事ばかりを考えていました。そしてやっと次の夜になったので勘七は再び芝切通しに向かったそうです。すると前日の夜鷹が勘七をみつけるとそばによって来て、
「あなたは昨日私を買ってくれた人ですか?」
と聞いたので、すかさず勘七は、
「そうだ。私だ。」
と答えた。すると夜鷹は、
「昨日は、何か落しませんでしたか?」
というので勘七は、昨日からの事をすべて話し、食事も出来ない状態だと告げた。すると夜鷹は、財布の特徴や中身を詳しく聞いて、
「来てくれて、本当に良かった!」
と言って土中に生めて保管してあった財布を喜んで返してくれました。
まさかの思いで、命の恩人だと喜んだ勘七が夜鷹の住まいを訊ねると鮫ヶ橋(新宿区若葉辺の超低級岡場所でボッタクリが横行していた場所)の九兵衛という親方の下にいると答えたので、また来ると言い残して主人のもとに急いで帰ったそうです。店についた勘七は財布を差し出して事の仔細を主人久兵衛に話しました。すると主人は、
「そのような正直者にそんな勤めをさせてはいけない」
と言い、勘七を供なって20両を懐に鮫ヶ橋の九兵衛のもとに行くと昨夜の夜鷹も居合わせたので、早速その夜鷹を20両で身請けしたいと親方の九兵衛に申し出たそうです。すると九兵衛は、
「あの娘は訳があって夜鷹などしているが、本来はこのような勤めをするべき者ではなく、生活のために致し方なくやっているのだ。」
と言い6両もあれば借金は消えるので20両では多すぎます。っと、6両しか受け取りません。そして、何度も押し問答をしたがどうしても九兵衛は6両しか受け取らなかったので、終いには根負けした伊勢屋久兵衛も6両で夜鷹を店に連れ帰り、勘七の長年の忠勤にも以前から感じ入っていたので、二人を早速夫婦にして元手を渡し店を持たせたそうです。そしてその後、勘七夫婦の店は永く繁盛したといいます。
この正直な夜鷹は麻布辺の荒井何某という家の娘でしたが、親の死後に兄弟の身持ちが悪く、悪人に売られて九兵衛のもとに来たということでした。
最後に作者の根岸鎮衛は、
「さすがに素性ある女なれば、かかる事もありなん。親方の九兵衛もいかなる者の果てや、正義感ずるにたえたりと語りける」
と〆ている。
※ 根岸鎮衛もこの話の冒頭で「この話初めにもありといえど、大同小異あれば又しるしぬ」と書いている通り、この話には同話異伝があり、「耳袋」2巻に「賤妓発明加護ある事」というタイトルで掲載されています。そちらは場所が浜町河岸(日本橋久松町)で舟で商いする街娼と下町辺の若い商人の話ですが、財布を返した理由に、若い商人と夫婦になった娼婦が後に語った事として、大金を持っていると親方に殺されて奪われる恐れがあったと言っており、鮫ヶ橋の九兵衛のような人情味のある親方は登場しません。
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