2013年6月6日木曜日

山事の手段は人の非に乗ずる事

今回もまた「耳袋」からのお話ですが、前回と違い「世智辛い」内容のお話です。現題の「山事の手段は人の非に乗ずる事」とは、「詐欺は人の弱みに付け込むもの」とでもいうんでしょうか?その話とは........。


最近あった事で、上総あたりのお寺の住職が寺の用事で江戸に出ました。しかしその住職は破戒僧で、新吉原に入り込み遊女遊びで持ってきた寺の公金を使い果たしてしまったそうです。仕方なく一旦上総に戻り、金策のために偽り事を言って檀家から金を集め、寺の什器なども質に入れてなんとか300両をつくり、再び江戸に出ました。しかし江戸に入ると、この悪僧は懲りずに再び遊女遊びでその金を使い果たしてしまいます。さすがの悪僧も今度ばかりは上総に戻る事も出来ず、仕方なく残った金で馬道辺に借家を借り、散々入れ揚げた遊女を身請けして妻にしました。

そうして1ヶ月ほど暮した僧ですが、ある日、町内の若者連中の伊勢講仲間から伊勢参りの誘いをうけます。すると、僧は色々と理由を造ってこの話を断りました。しかし、若者連中の執拗な誘いから最後には路銀も受け取り、とうとう伊勢参りを引き受けてしまいました。そして家に帰ると僧は妻に、断りきれずに伊勢参りを引き受けたことを語りました。すると妻は、

「それならば、仕方ないのであとの事は私に任せて、行ってらっしゃい」

と答えた。そして数日後、僧は留守中のことをくれぐれも頼み込んで、伊勢へと旅立った...........。

しばらくして、伊勢参りを終えた僧が久しぶりにわが家に戻ってみると、なんと、住んでいた家には空家の札が貼られ、妻も行方知れずになっていました。驚いた僧は、

「どうした事か!」

と家主に尋ねましたが、家主も驚きこう語りました。

「奥さんから、あなたが行方不明になったと聞いたので、奉行所にも届け、保証人に家財と奥さんを引き取ってもらった。」

これを聞いた僧は、はじめから妻には男がいたのだと悟り、その自分の知らなかった保証人を怒って訪ねました。しかし、そこもすでに引き払われていたそうです。

途方にくれた僧は、はじめて自分が空腹である事に気づき、田町(北馬道町)の正直蕎麦に入り蕎麦をすすりながら、もともと脛に傷を持つ身であり、こうなったら川に飛び込むしかないなどと、考えていました。すると、先ほどからそんな僧の様子を見ながら蕎麦をすすっていた医者の姿をした男が、蕎麦屋の下女を呼んで「あの男は死相が現れている」と言いました。すると下女はこんな所で死なれては商売のじゃまと、僧に向かって

「お客さん、顔色が悪いよ。あちらの方が、あなたに死相が出ているって言ってるし、早く帰って養生した方が良いよ。」

と言うとズボシをさされた僧は大変に驚き、医者の姿をした男に自分は確かに死のうと思っていたと告げました。すると医者の姿をした男は

「一度捨てた命を、拾って生きるつもりはあるか」

と言うので、僧は「捨てたつもりの命です。生きて何でもします。」と答えた。すると医者風の男は

「それならば、私について来なさい」

と言い、並木通り(雷門)にある自分の家に僧を連れ帰り、下男のように使ったそうです。そしてしばらくしたある日、医者風の男は僧に、まだ奥さんを探したいかと訊ね、僧がうなずくと、それならば良い考えがあると、「飴売り」になって念仏を唱えながら江戸市中を歩けば、きっと見つかると言った。それから僧は言われたとおり、浅黄頭巾に伊達羽織を着て念仏を唱えながら飴を売り歩いいました。しばらくたったある日、麻布六本木で飴を売りに歩いていると、なんと元の妻が向かいの酒屋から出てきて、他の家に入り、また酒屋へ戻るところを見つけました。喜んだ僧はそのまま大急ぎで医者風の男の家に帰り、そのことを話します。すると医者風の男は

「それでは、女房殿を取り返そう」

と言いました。10日ほどすると医者風の男は、「今日、取り返そう」と言い、僧を伴って麹町辺を取り仕切る地元の親分を訪ね、ひそひそと相談を始めました。そしてしばらくすると「大方の相談は終わった。あんたは今から女房を見た酒屋へ乗り込みなさい」と親分は僧に言いました。

医者風の男は親分に丁寧に礼を述べると、その足で麻布六本木に行きの例の酒屋の近くの家の軒先に僧を残して、少しここで待つよう、そして呼んだらすぐに来るように伝えると、酒屋に入っていきました。そして店に入ると

「酒の小売りはしているか。少し飲ませてはくれないか」

と言うと

「うちじゃ小売りはしてないません」

と言われた。しかし医者風の男はそっと店の者に銀一枚を与えたところ、酒が出され、女房らしき女が現れて酌をはじめた。そこで医者風の男はその女房に

「奥さんに会わせたい男がいます」

と言うと僧を呼びまし。すると、僧の顔を見た女房は驚いてその場を立とうとしたが、すかさず袖を押さえた。医者風の男は

「この女に間違いないか?」

と問うと、僧は

「間違いございません」

と言ったので女房は顔を真っ赤にして奥へ引っ込んだそうです。そして医者風の男は酒屋の主人を呼ぶと、今までの女房との話を悟られないようにと、酒の礼を丁寧に述べて店を辞しました。それから二、三日が過ぎた頃、麹町の親分が子分を数人連れて医者風の男の家に現れ、

六本木の酒屋を脅して、100両ほど都合させた」

と言い医者風の男にその100両を渡した。すると医者風の男は親分に

「これは仕事料だ」

と、二十両を差し出した。それから医者風の男は旦那寺の僧を呼んで終日、ご馳走を振る舞いました。そして僧がこの上何をするのだろうと考えていると、酒も済んだ頃、僧はその旦那寺の僧に引き合わされました。そして医者風の男は旦那寺の僧に

「この男は一度はこういう理由で死のうとしていたところを私が助けた。そしてこのたび、貴僧の弟子として再度出家させたいので、今日剃髪なさってください」

と言い、あれよあれよと言う間に湯や剃刀を用意した。するとそれを聞いた僧はたいそう驚き、「ちょっと待ってください。私は一度還俗した身です。また出家できるはずがありません。女房も取り返していないのに、なぜまた出家しろなどと仰るのですか」と言うと、医者風の男は、

「だからこそ、あなたが勝手に還俗し、在家を欺いた罪は免れようがない。本来死ぬはずだったところを生きているのだ。これを幸運だと思いなさい。そしてまた出家すれば、少しは罪が軽くなるはずだ」

と、無理矢理出家させてしまったそうです。さらに医者風の男は僧に、

「今度の事で、あなたの女房を奪った男から迷惑料として金を出させたが、これは、色々骨折りを頂いたの方々への御礼にした。そしてあなたの出家や、今までの罪滅ぼしの供養料でお寺にも20両差出た。また、あなたにも10両を渡すので、出家の費用としなさい。残りは、これまでかかった経費だ。」

と言って自分の懐に入れてしまいました。


作者は、この医者は恐ろしく悪知恵が働く男で、ふたたび出家した僧は、今は花川戸あたりで托鉢をしている。と書き残して終わっています。 泣きっ面に何とか。...というお話でした。