2016年1月20日水曜日

胸の記章の鳩さん....がおなじ訳

今から14年ほど前のある日、DEEP AZABUサイトを立ち上げた
ばかりの私の元に、1通のメールが届きました。

昭和18年麻布幼稚園卒業アルバム
メールの送り主は全く面識のない方で、当時私が使用していた
プロバイダー「246net(現イッツコム)」の役員の方でした。

メールの内容は、自分の所属する会社のHPスペースを使用して
生まれ育った麻布についてのサイトが出来たことが嬉しく、
もし良ければ、一度社に遊びに来ないかというものでした。

数日後、早速お言葉に甘えて待ち合わせた駅に着くと、自らお出迎え下さったO氏がニコニコしながら立っていらしたのを、昨日のことのように思い出します。そして社内をご案内頂き、当時出来たばかりのADSL回線を、ニコニコしながらも「どや顔?」でご説明頂き、その後昔の麻布の様子などをお聞かせ頂きました。そして帰り際に大きな封筒を手渡され、
「これをサイトに掲載してほしい」といわれました。それは、1943(昭和18)年度のO氏が通っていた麻布幼稚園の卒園アルバムでした。
実は戦前の麻布周辺の小学校や幼稚園は上流階級の子女が通学することも多かったといわれており、校舎入り口の付近には、通学する子供に付き添う雇人が待機する部屋(召使い部屋)もあったといわれています。


帰宅後にスキャナーで読み込んで早速記事を掲載させて頂きましたが、その卒園アルバムの表紙を眼にしたときにやけに懐かしいような気分になりました。といっても、南山幼稚園出身の私と麻布幼稚園は何の関係もなく、気のせいかとも思ったのですが、しばらく眺めているとあることに気がつきました。
それは、表紙に描かれている向き合った2羽の鳩のマークは、背景の色の違いがあるにせよ、南山幼稚園の記章と全く同じデザインでした。
南山幼稚園

そこで調べてみると、両園の意外な関係が解ってきました。

両園の母体は大正2年4月に設立された東京市麻布幼稚園で、その設置場所は現在解体工事を待っている旧麻布保育園の敷地(元麻布3丁目・麻布いきいきプラザ辺)にあったことがわかりました。
そして昭和9年4月には麻布麻中、南山幼稚園に分割され、それぞれ現在の位置へと別れました。
しかしその際に創立時に同じ幼稚園であったことを記憶に留めるため、バックグランドの配色は青とエンジにして変化させたものの、デザインはそれまでのものを継続して使用する事に決めたのだと思われます。

南山幼稚園ではこの鳩が現在も園歌として歌われており、その創業時の思いを今に伝えています。




♪ 南山幼稚園 園歌 ♪

胸の記章の鳩さんは、お手々つないで通います。
わたくしたちも、元気よくみんな仲良く遊びましょう
楽しい南山幼稚園

胸の記章の鳩さんは、お口そろえて歌います。
わたくしたちも、声高く、みんな仲良く歌いましょ
楽しい南山幼稚園


※南山幼稚園園歌.mp3(唄入り) → こちらをクリックして下さい。

※南山幼稚園園歌.mid(伴奏のみ) → こちらをクリックして下さい。
     (演奏:小野さん)

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  ◆むかし、むかし2-30 麻布幼稚園

      http://deepazabu.main.jp/m1/mukasi/mukasi2.html#30