現在の服部ハウス |
1933(昭和8)年、セイコーの創業者、服部金太郎氏の邸宅として建てられた洋館で、
設計者は帝国ホテル新本館などを手がけた高橋貞太郎。
この服部ハウスは敷地面積16,815㎡という大きさで、これは東京ドームの三分の一ほどにもなります。
戦後は連合国軍総司令部(GHQ)に接収され、極東軍事裁判(東京裁判)では連合国側主席検事となるジョセフ・キーナンら10名の検事の宿舎兼オフィスとなりました。
そして機密保持のためこの敷地の門前にはMPが歩哨が立ち通訳官、タイピストなどが、裁判中外出を許されない状態で常駐していました。
ネット上などには「日本国憲法の草案作成地」との情報もありますが、それは明らかな間違いで、日本国憲法草案が審議されたのは現在アーク八木ヒルズ(港区六本木1-8-7)です。
また、服部ハウスに隣接する野村ハウスには検察側証人田中隆吉陸軍少将の保護された二階建て和風屋敷(田中少将はその後代々木・今井ハウスに移転)。
東京裁判中の服部ハウス |
野村ハウス敷地その後は竹中工務店の迎賓館である「白金竹友クラブ」を経て現在は
超高層マンション「ザ・パークハウス 白金二丁目タワー」となっています。
この田中隆吉は極東軍事裁判において検事側(連合軍側)の証人として被告に不利な証言をして「売国的言動」といわれました。これによりGHQによる田中隆吉保護のための屋敷でした。
また服部ハウスは、山崎豊子の著書「二つの祖国」によると、洋館には米人言語部長、同言語裁定官、日本人通訳、速記者が詰め、日本家屋には27人の女性タイピストが入っていたと記載されています。
服部ハウスはその後現在の服部ホールディングスに返還されましたが、が2014年10月シンガポールの「シティ・デベロップメント」社に売却されました。
◎wikipedia-服部金太郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E9%87%91%E5%A4%AA%E9%83%8E
◎wikipedia-高橋貞太郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E8%B2%9E%E5%A4%AA%E9%83%8E
◎wikipedia-ジョセフ・キーナン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%B3
◎wikipedia-田中隆吉
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%9A%86%E5%90%89
◎wikipedia-極東国際軍事裁判
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4
◎FB自己記事
日本国憲法草案とベアテ・シロタ・ゴードン
https://www.facebook.com/deepazabu/posts/10218794102427304
MPが警備する服部ハウス正門 |
ジョセフ・キーナン主席検事 |
東京裁判におけるキーナン |
田中隆吉少将 |
鉄条網とMP警備により出入りは厳重に管理されていた |
外出を禁止されていたタイピスト・法務官ら |
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