2019年4月9日火曜日

⑫八芳園

八芳園池
八芳園池

桑原坂に接する八芳園の敷地は江戸期初期には大久保彦左衛門屋敷、そして末期には薩摩藩(砂土原藩?)島津家抱屋敷、明治には渋沢栄一の従兄渋沢喜作屋敷、そして大正期には久原房之介屋敷となり、1950(昭和25)年長谷敏司により八芳園として開業します。
明治期には江戸期の地図には無かった「渋沢池」が姿を現します。そしてこの渋沢池は喜作が贅にまかせて
造った人工池のようですが、現在の白金小学校のあたりは玉名池・鴨池から続く湿地帯であったことが想像されます。
また、三田用水久留嶋上口分水路が渋沢池に流れ込んでいたと見られ、その余水は藤山雷太邸の池(現シェラトン都ホテル敷地)を満たし、さらに玉名川の水源となっていました。
昨日訪れた際に八芳園のコンセルジュにお話を聞くと、現在池に湧水は確認されておらずポンプ駆動で水を循環させているとのことでした。また頂いたパンフレットにはこの池について、
「その昔、この付近の丘陵地帯に沼があり、そこから流れていた川の筋を池にしたもので~」
と書かれていますが、川の筋とは玉名川に他なりません。
園内案内




敷地変遷






桑原坂








玉名橋付近














玉名池あたり