2019年4月7日日曜日

④三田用水遺構


三田用水遺構と解説板
今里地蔵から三田用水の水路跡沿いに歩くとコンクリートで作られた「三田用水跡」と解説板があります。

三田用水の詳細は下記サイトをご覧頂くとして、三田用水は細川用水と併走して一貫して流路を保っており、このコンクリート造の水路模型もそれを再現しているのでしょうか?あるいはこの今里辺りは分水嶺となっており、この尾根の北にある古川・玉名川に落とす分水用と南の目黒川に水を落とす分水用に分けていたのかもしれません。

この分水の中で久留嶋上口分水路は一旦玉名池にな流れ込み、さらに玉名川となって覚林寺境内北上し現在の新古川橋
あたりで古川に流れ込んでいました。今でもこの新古川橋の橋下には現在も古川へと水を落とす四角い大きな合流口が残されています。

二つに分かれた流路

この三田用水分水から流れ出た水は水車を上掛けで廻すための水力として使用されました。

玉名川にも二基の水車が架けられていましたが、のどかな田園風景で水輪を廻す水車などというものでは無く恐らくは水を動力として使用した近代的な工場であったのかもしれません。

ちなみにこの二基の水車は精米(搗米)と硝子磨切で使用されていたようです。

この玉名川に一旦水を溜めた「玉名池」は明治になると恐らく埋立により姿を消し、当時の地図には渋沢喜作邸に江戸期には無かった池が描かれてその池にも三田用水由来と思われる水路が描かれていますこの敷地は現在目黒八芳園となっています。

解説板
また埋め立てられたと思われる玉名池の脇にも大久保利和邸の大きな池が描かれていますが、この池は江戸期の地図にも
玉名池と共に描かれており川越藩松平家の屋敷であったようです。

玉名池と鴨池を同じ池とする書籍がありますが、もしかしたら別々の池であったのかもしれません。

またこの付近から三田用水を分水(久留嶋上口分水路)し玉名池へと落とし込み玉名橋を通って覚林寺前~新古川橋まで流れていた玉名川が流れていました。
明治期に玉名池が埋め立てられると現在八芳園池となっている池に引き込まれた後、玉名川となって流れ下ります。




レンガ色の通路が三田用水流路




久留嶋上口分水路と旧久留嶋上口分水路







新古川橋下の玉名川合流口



◎Blog DEEP AZABU-三田用水
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