★高輪(高縄)町歩き★
9/28(土)14:00~
9/28(土)14:00~
コース順路 |
★高輪の語源
「高縄原」として書かれていることに由来する。高縄とは高縄手道の略語であり、
高台にあるまっすぐな道を意味している。ちょうど丘陵の中心部を南北に走る二本榎通りが、
あたかも高いところに張った縄のようであったからと伝えられる。
またこのほかに、吾妻鏡の中に登場する1189年(文治5年)の奥州合戦の際、鎌倉から御供した
人物の一人として挙がっている高鼻和太郎に因んで高輪の地名がついたとする説もある。
(wikipediaより引用)
この道は古来からの往還(主要道路)で、古奥州道下道(しもつみち)、鎌倉街道、古東海道
ともいわれていおり、徳川家康の江戸入府でもここを通過しました。
◎wikipedia-高輪
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★武蔵野台地東部舌状台地
・久が原台、
・田園調布台、
・目黒台、
・淀橋台、
・豊島台、
・本郷台、
・成増台、
・荏原台、
・赤羽台
◎武蔵野台地東部
都心部七つの舌状台地群
1.上野台地、
2.本郷台地、
3.小石川・目白台地、
4.牛込台地、
5.四谷・麹町台地、
6.赤坂・麻布台地、
7.芝・白金台地
★下末吉海進(しもすえよしかいしん)
約12万5000年前の間氷期に、地球の温暖化によって起きた大規模な海進であり、日本各地の平野部に海が進入した。
その規模の大きさから縄文海進が起きた6000年前よりも下末吉海進が起きた時期(下末吉期)は温暖な気候であったとされている。横浜市鶴見区の下末吉地域にちなみ命名された。
海水面がどのくらい上昇したのかははっきりしない面もあるが、現在の海水面から5~10メートル程度高かったのではと推定されている。(wikipediaより引用)
★縄文海進(じょうもんかいしん)
最終氷期の最寒冷期後(約19,000年前)から始まった海水面の上昇を指し、日本など氷床から遠く離れた地域で100メートル以上の上昇となり(年速1 - 2センチメートル)、
ピーク時である約6,500年前 - 約6,000年まで上昇が続いた(日本では縄文時代)。現在はピーク時から海水面は約5メートル低下した。(wikipediaより引用)
もし10m海水面が高かったとすると三田段丘は海に浮かぶ島となり「アサップル伝説」が成立します。
◎Blog DEEP AZABU-アサップル伝説
◎DEEP AZABU-麻布の由来
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①札の辻
元和キリシタン遺跡
・高輪の大仏(おおぼとけ)-切支丹の聖地
・又七と木食但唱そして如来寺
②竹芝伝伝説・亀塚
・麻布近辺の源氏伝説(笄橋伝説 その2)
③化粧地蔵(解説のみ)
・三田寺町明王院の「龍の首」(解説のみ)
・月の岬
④貝塚公園
⑤フレンズセンター(ヴォーリズ建築)
・正山寺大石家墓所(解説のみ)
・薬王寺(加賀の千代女)(解説のみ)
朝顔に
釣瓶とられて
もらい水
・「歯科医学教育発祥之地」碑
・伊皿子の語源
・伊皿子長応寺跡(オランダ公使館跡・ベアトアトリエ)
・泉岳寺
・如来寺
⑥等覚寺
⑦高輪皇族邸 プリンセスミチコ
⑧大石内蔵助切腹
⑨興意親王墓
⑩高輪消防署二本榎出張所
・二本榎の語源
⑪高野山東京別院(解説のみ)
⑫東芝山口記念館(ヴォーリス建築・解説のみ)
・柴田錬三郎邸(解説のみ)
⑬東禅寺(解説のみ)
⑭光福寺
⑮高縄原の激戦
⑯カトリック高輪教会・切支丹遺跡
⑰高輪の森公園
薩摩藩邸跡高山稲荷元地
⑱高山稲荷おしゃもじさま