2013年7月4日木曜日

渋谷川~古川

天現寺橋下の古川・笄川合流口
以前「あざぶ」という地名の根源説のひとつである「アサップル伝説」の中で、太古の昔に東京湾が恵比寿辺まで入り込んでいたと書きましたが、渋谷駅近辺でビル建設時に大量の貝が発見されているという記事を発見して、さらに奥の渋谷までが湾奥であった事が解りました。そして、その後の湾奥は、曲流した多摩川から現在の古川へと姿を変えていったのだそうですが、今回は、はたして古川とはどんな川なのかを調べてみました。

古川の源流は新宿御苑にある「下の池」東側から川となって流れ出てる水流だといわれています。しかし残念ながら現在は御苑を出るとすぐに暗渠となってしまい、ここから渋谷駅付近までは川の姿を確認することが出来ません。御苑を出た川はすぐに玉川上水と合し流れを増します。昔、このあたりでは渋谷川は「余水川」と呼ばれ、御苑からの水量より玉川上水からの水量の方が多かったそうです。

その後川は原宿表参道付近で明治神宮の「清正の井」から湧き出て「南池」に落ちた後に川となった支流と合流し、渋谷駅付近で初台1丁目付近から流れ出る「宇田川」と合流します。そして恵比寿の手前で鉢山町あたりから流れ出た支流と合流し、天現寺交差点で青山小学校付近から流れる「笄川」と合流して麻布域に入ります。そしてその後、古川橋で北に流れを変え、一の橋で再び東へ向かい赤羽橋を経て芝金杉橋の先から海へとそそいでいます。この中で渋谷から天現寺橋までの渋谷区域2.9Km(暗渠以外)を「渋谷川」、それ以降の港区域4.3Kmを古川と呼びまた、水系的には二級河川「古川水系」と呼ばれ、そして「目黒川」、「呑川」と供に「城南三河川」と呼ばれています。

下流が二つに分かれる
正保年中改訂図の古川
古川下流域は昔、新堀川、金杉川、赤羽川とも呼ばれていました。これは江戸初期までの古川は三の橋から慶応交差点を抜けて東京港口に注いでいた川路が本流(入間川[いりあいがわ])で、三の橋~一の橋~金杉橋は支流の細流であったもの(芝区史)を、1667年(寛文7年)に幕府に岡山、鳥取の両藩が命じられて1676年(寛文7年)完成した工事で古川を芝金杉より麻布日ヶ窪まで改修して船の出入りを容易にしました。この時、工事を一番より十番までの工区にわけて行ったので十番目の工区はその後「麻布十番」となったそうです。またこの工事は前年2月に起こった大火の影響で凶作貧民となった民の失業救済事業であったともいわれる。そしてその後の1698年(元禄11年)にはさらに一の橋~四の橋までの川幅拡張工事を行い将軍綱吉が船で直接麻布御殿に入る為の工事を行い、本来支流であった三の橋~金杉橋が古川の本流となったといわれています。ちなみに現在港区内で古川にかかる橋は、以下の23橋。 (No.5 青山橋は2011年に撤去されました。) 



No.橋名No.橋名No.橋名No.橋名No.橋名
1.天現寺橋2.狸橋3.かめや橋4.養老橋5.青山橋
6.五の橋7.白金公園橋8.四の橋9.新古川橋10.古川橋
11.三の橋12.南麻布一丁目公園橋13.二の橋14.小山橋15.一の橋
16.新堀橋17.中の橋18.赤羽橋19.芝園橋20.将監橋
21.金杉橋22.新浜橋23.浜崎橋



最近の古川は、私が子供の頃の昭和40年代に比べて明らかにきれいになったようで、 清流の復活」という東京都の看板によると、新宿区の落合下水処理場からのオゾン処理した「高度処理水」を平成7年から旧玉川上水路を使って放水し、水量を維持したためとの事。平成8年度の東京都環境保全局による「中小河川環境実態調査報告書」によると渋谷橋ではタモロコ・モツゴ、鯉、ドジョウ、メダカ、ヨシノボリなど10種類、古川橋では9種類、金杉橋では1種類の魚類が確認されているようです。その他面白いものでは渋谷橋、古川橋でミシシッピ-・アカミミガメ通称ミドリガメが捕獲されていますが、これは縁日などで買ってきたペットを放流したものと思われます。また、この調査報告書によると港区内で古川に注ぎ込んでいる水の湧水地として、
四の橋辺の古川
先日、Yahoo! 掲示板 麻布倶楽部にも古川の「ボラ」、「鯉」の話題が出ていましたが、私も数年前に四の橋付近で40cmほどの鯉数匹を、つい先日には、新広尾公園近辺で50cm位のボラ数十匹と幼魚の大群をみつけた事からも説明できます。これは天現寺にある「


1,芝公園(もみじ台)
2,有栖川公園
3,麻布山善福寺(柳の井戸)
4,宮村児童遊園
5,がま池
6,根津美術館
7,自然教育園

の7箇所をあげています。 そして、一の橋公園内の噴水、放水は東電洞道湧水を利用した湧水であり、この調査時点では前項7つの湧水と供に麻布の湧水が確認されており港区の「港区街づくりマスタ-プラン」の中で古川を3つの軸の内の一つとして位置付け、一の橋公園は水の拠点とされています。また港区は、昭和62年に策定した環境整備基本計画で「古川の清流を復活し、緑と水の豊かな都市景観を備えた個性あるシン
五の橋脇に架けられていた「青山橋」
ボルゾ-ンとして整備を図る」として翌63年に河川環境管理財団に委託して「古川環境整備基本計画調査報告書」を策定し、その中で川を以下の4つのゾ-ンに区分して環境整備の具体的な方向性を示しました。


①水と緑のふるさとゾ-ン → 天現時~新古川橋
②親水プロムナ-ドゾ-ン → 新古川橋~二の橋、新堀橋~芝園橋
③親水プラザゾ-ン → 二の橋~新堀橋、新浜橋~浜崎橋
④親水文化ゾ-ン → 赤羽橋~新浜橋

※この文章は2003年頃書いたもので、現状と合致しない部分のあることをお伝え致します。