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2013年7月25日木曜日

渋谷川開口部~古川区域の水車総集編

当初、広尾橋そばの玉川家について調べようと始めた一連の水車ネタでしたが、調べ始めると明治期の渋谷川・古川流域にかかる水車 が多かった事に正直驚いてしまいました。そして水車台帳に記載された所在地を明治期の地図にプロットしてゆく課程において、渋谷川・古川 から遠く離れた位置に数多くの水車が存在したことから、当初プロットミスかと思い何度も再検証してみました。 
しかし、その位置に間違いはなく、 原因が「三田用水」にあると気がつくまでに、しばらくの時間を要しました。それは今まで漠然と描いていた「渋谷川・古川の流れに直接水輪を入れて 水車を回している」という江戸期の玉川水車から連想されるイメージとは大きく隔たりがあるもので、さらに中には動輪の力により100台あまりの臼をついていた 水車などもあり、田園風景で小さな水車小屋がのどかに廻っているというイメージも、明治期の水車には通用しない事が判明しました。 そして、これらの漠然としたイメージを整理するため、下記にまとめてみました。 



麻布水系 Google Map

より大きな地図で 麻布の水系 を表示




表1-明治期 古川・渋谷川(渋谷駅より下流)に流れ込む水流の水車(支流も含む)
系設置
河川
No.台帳
No.
名 称水車所在地目標用 途諸 元備 考
古

川

系
古
川
筋
1.353河内明倫
水車
麻布区麻布広尾町字八郎右衛門新田134番地小山橋精米水輪2丈3尺・搗臼90台譲主:山川平蔵・明治16年更新
2.1021松本亥平
水車
麻布区麻布広尾町字八郎右衛門新田133番地小山橋精米有堰・搗臼80台明治16(1883)年継続申請
3.1022松本亥平外1名
共有水車
麻布区麻布広尾町字八郎右衛門新田134番地小山橋活版印刷水輪1丈8尺幅3尺・馬力2.0明治13年新設時名義人:  青山八郎右衛門
笄
川
4.978福沢諭吉
水車
南豊島郡渋谷村
麻布広尾町89番地
天現寺精米堰高6尺幅9尺・水輪1丈2尺・搗臼9台福沢諭吉の広尾水車。諭吉の死後地権は長男の一太郎に、水車営業権は三男の三八が相続
5.736田丸兼次郞
二番水車
豊多摩郡渋谷村下渋谷
字広尾耕地1942番地
天現寺精米水輪1丈・搗臼9台福沢諭吉水車が移転したもの。3男三八が相続。その後早川徳次郎→田丸兼次郞と転売
渋

谷

川

系
渋
谷
川
筋
6.734玉川金三郎
水車
豊多摩郡渋谷町
下渋谷1677番地
山下橋精米水輪2丈4尺幅6尺・下射樋長13間・堰高5尺5寸5分・搗臼11台享保18(1733)年新設・江戸名所図会の広尾水車
7.324加藤米吉
水車
南豊島郡渋谷町
下渋谷1036番地
庚申橋精穀堰高5尺幅5尺・水輪2丈1尺・搗臼60台文政11(1828)年新設。加藤水車
8.993古川源太郎
水車
豊多摩郡渋谷村
中渋谷217番地
稲荷橋精穀水輪1丈9尺・搗臼63台明治16(1883)年継続申請
いもり川9.793永井勘七
水車
豊多摩郡渋谷村
下広尾19番地
臨川小学校コンデンスミルク製造水輪1丈・釜6台
馬力0.1077
(江川用水)どんどん橋・明治10年頃に友野義国が西洋理髪鋏製造用途で使用
三

田

用

水

系
神
山
分
水
10.1036三井鶴吉
一番水車
豊多摩郡渋谷村中渋谷
字大山729番地
松濤美術館精穀水輪2丈1尺・搗臼13台明治15(1882)年継続申請
11.1037三井鶴吉
二番水車
豊多摩郡渋谷村中渋谷
735番地
松濤美術館精穀水輪1丈5尺・搗臼12台明治15(1882)年継続申請
鉢
山
分
水
12.311加藤幸三郎
水車
南豊島郡渋谷町中渋谷
字長谷戸419番地
鉢山公園精穀水輪1丈2尺・搗臼12台旧一二ヶ村組合用水
13.256奥田兼吉
水車
南豊島郡渋谷町下渋谷
字田子免657番地
氷川橋精穀水輪1丈4尺・搗臼26台明治18(1885)年継続申請・同20年業種変更
14.542柴田清次郎
外12名共有水車
豊多摩郡渋谷村
中渋谷141番地
鉢山中学精穀水輪1丈2尺・搗臼5台明治20(1887)年継続申請
15.629角谷和市
水車
豊多摩郡渋谷町
中渋谷138番地
鉢山中学精穀水輪1丈2尺・搗臼11台大正5(1916)年廃業
16.665高橋茂吉
外12名共有水車
豊多摩郡渋谷町
中渋谷103番地
鉢山中学精穀滝壺深4尺長2間・水輪1丈2尺・搗臼5台明治44年以前は139番地で営業
17.967平峰元
水車
豊多摩郡渋谷村中渋谷
字鉢山491番地
西郷山製綿水輪1丈3尺・綿打器12台明治17(1884)年継続申請
18.1167吉留利衛
一番水車
豊多摩郡渋谷村中渋谷
字鉢山分水口491番地
西郷山製綿滝壺深6尺幅5尺長3間・水輪1丈4尺1寸・綿打器4台・馬力1.693明治17年継続申請・西郷従道所有地内
19.397久保田豊
水車
豊島郡渋谷村下渋谷村
字金王下田子免地先
並木橋精米水輪2丈4尺・搗臼36台明治11(1878)年新設・鈴木権左衛門
20.1035三田弥兵衛
水車
豊島郡渋谷村下渋谷村 
字金王下田子免681番地
氷川橋精穀水輪1丈3尺・・搗臼120台明治18年継続申請
猿
楽
分
水
21.333鎌田久太郎
水車
南豊島郡渋谷町
中渋谷896番地
JR・東横線交差精穀堰高7尺4寸・水輪1丈2尺・搗臼18台明治18(1885)年継続申請・大正2(1913)年廃業(大向川落合分水)
22.308加藤亀蔵
水車
南豊島郡渋谷町下渋谷
字四反町1032番地
庚申橋精米水輪1丈8尺・搗臼12台明治32年新設
23.756津田亀太郎
二番水車
豊多摩郡渋谷町
下渋谷字猿楽783番地
代官山駅精米水輪2丈5尺・搗臼30台明治21(1888)年業種変更申請・同33年売買
24.810中西馨
水車
豊多摩郡渋谷村下渋谷
字代官山934番地
JR・東横線交差精米水輪1丈3尺・搗臼20台明治17(1884)年継続申請
道城池
分水
25.737田丸金太郎
水車
豊多摩郡渋谷町
下渋谷1580番地
恵比寿2丁目精米無堰・水輪1丈5尺・搗臼17台明治29(1896)年業種変更・(一二ヶ村組合用水)
26.773登坂ふく
水車
豊多摩郡渋谷町
下渋谷1596番地
恵比寿2丁目精米無堰・水輪1丈5尺・搗臼12台明治9(1876)年新設許可
27.527真田徳次郎
水車
南豊島郡渋谷村
下渋谷字向山1367番地
恵比寿3丁目精米無堰・水輪1丈5尺・搗臼18台明治20年継続申請
白金
分水
28.735田丸兼次郞
一番水車
芝区白金三光町
字雷神下387番地
神応小学校精米無堰・水輪1丈4尺・搗臼9台三田用水白金三光町内堀水路
明治34年新設
29.977福沢一太郎
水車
芝区白金三光町
字雷神下165番地
狸橋薬種細末堰高5尺2寸幅7尺3分・馬力2.53搗臼24台狸蕎麦水車・福沢諭吉の長男名義。精米から製薬に変更。鉄製ハ-キエルス式水車
玉
名
川
30.202遠藤むめ
一番水車
芝区白金今里町103番地2号芝白金団地精米無堰・上射・水輪1丈1尺・搗臼12台明治24(1891)年継続申請
31.203遠藤むめ
二番水車
芝区白金今里町103番地1号芝白金団地精米
硝子磨切
水輪1丈1尺・搗臼26台明治28年継続申請
豊分羽沢分水32.230大橋富太郎
水車
南豊島郡渋谷村
渋谷字下広尾18番地
山下橋鍛冶水輪8尺馬力0.045明治24年新設




★暗渠部より下流の渋谷川・古川流域にかかる水車比較
(※「三田用水神山分水」は宇田川を経て宮益橋で渋谷川と合流するため対象から除外し、30項目での比較とする。)




取水水流系列比較
No. 流 路 該当水車件数川別割合川系割合
A.古川本流古川→古川3件10.0%16.7%
B.  支流笄川→古川2件6.7%
C.渋谷川本流渋谷川→渋谷川3件10.0%13.3%
D.   支流いもり川→渋谷川1件3.3%
E.三田用(上)水白金分水→古川2件6.7%70.0%
F.→玉名川2件6.7%
G.道城池分水→渋谷川3件10.0%
H.猿楽分水→渋谷川4件13.3%
I.鉢山分水→渋谷川9件30.0%
I.豊分羽沢分水→渋谷川1件3.3%
計30件100.0% 




最終流出河川比較
No.最終流出河川取水流域該当水車件数割合備 考
①渋谷川C,D,G,H,I5か所21件70.0%渋谷川本流、いもり川、三田用(上)水道城池分水・猿楽分水・鉢山分水
②古川A,B,E,F4か所9件30.0%渋谷川本流、笄川、玉名川



設置河川分類(詳細)
設置河川分類(詳細)
設置河川分類
設置河川分類
最終流出河川
最終流出河川




これらのことから、渋谷川・古川流域の水車の7割が三田用水の恩恵で水輪を回し、使用した水の7割が渋谷川に落とされていたことが、 おわかり頂けると思います。しかし何故、渋谷川・古川流域で直接操業する水車が少ないのかを疑問に思われる方も多いと思われるが、 前述したとおりに、大きく分けて2のつの理由があるものと思われます。
  1. 水輪の輪転には上掛け(上射式)と呼ばれる水輪の上部から水を掛ける方式、中掛け(中射式) 水輪の櫓に水を掛ける方式、下掛け(下射式)と 呼ばれる水輪の下部に流水を当てる方式があったが、勾配の緩い河川では下掛け(下射式)以外の方法を用いることは出来ず、上掛け(上射式)に 比べて圧倒的に水輪を回す駆動力が弱かった。
  2. 渋谷川流域の土地の勾配は「千分の四」となだらかで、水車を回すための堰を設けるとその影響は上流500m以上にもなり、 その間に水車が設置出来なかった。
また、使用した水の最終流出が渋谷川7割が古川3割となり渋谷川流域の方が水車が多いのは、
  • 上記河川の勾配が古川ではさらに緩やかとなり、堰を設けた場合の影響がさらに長距離となる。
  • 白金分水口を最後に三田用水が南部(白金今里方面)に離れてしまうので古川との距離が拡がる。
などが原因と思われます。

しかし、例外的な水車として小山橋の3基があげられます。赤羽橋から下流域はほぼ水平となっている古川では干満の影響は天現寺橋辺まで 及ぶと思われますが、下流部にあたる一の橋近辺は潮の干満の影響が大きく、流域に直接水輪を入れて転輪することは不可能のように思われます。  
そして水車台帳では一つの堰で3基の水車が使用されていたことが記載されていますが、これも他の水車には見られない現象であるとおもわれます。そして、 東京都立公文書館で「青山八郎右衛門」を調べたときに不思議な記述を目にしました。それは2基の水車を所有する「松本亥平」に提出した 営業許可願いで「水力汲水装置販売」というタイトルであった(と思う)。しかし、その時には「青山八郎右衛門」の調査にかかりきりであったので タイトルを確認しただけで内容は確認していません。全くの想像ですが、この装置に下流域で水車業が営業できた秘密が隠されているのかもしれません。 よって、後日機会があれば、再調査してみたいと考えています。

また、三田上水は前述したように本来白金猿町で終端となっていて、復活後に細川上水を併合して芝西応寺・赤羽橋方面に流れるのですが、 三田上水当時の終端である白金猿町で実は終わっていません。その後余水を五反田方面に下り目黒川に放流していました。この目黒川合流口を書籍、 ネット上で探しましたが、残念ながらどれも特定に至っていません。しかし唯一「江戸の上水と三田用水」という書籍の巻頭に昭和期と思われる合流口の 写真が掲載されていることがわかりました。しかし、残念なのはその写真からも場所を特定することが出来ませんでした。そこで品川郷土資料館にレファレンスをお願いして 同一書籍の写真を確認して頂いた上で結果をお聞きしたのですが、残念ながらその写真から場所を特定することは出来ませんでした。しかし、
  • 写真背景にわずかに映っている斜面は池田山か御殿山である可能性が高い
  • 古地図には居木橋直前までの水路が掲載されているが、合流点は記載されていない
などがわかりました。そこで居木橋から下流の東海橋(第一京浜国道)までの北岸にあるそれらしい合流口を探したところ、下記の3か所が確認できました。
①小関歩道橋-やや上流に直径1mほどの丸形排水口

②居木橋-やや上流に一辺30cmほどの金属製蓋付き正方形排水口

③要津橋脇-北詰下流側・金属製蓋付き直径50cmほどの丸形排水口
さらに、この3か所を品川郷土資料館に問い合わせると、
  • ①、②は古地図とも一致する場所なので可能性が高いが、猿町本流の他にも分流があるので特定できない。また写真と同一地域かも特定できない。
  • ③は江戸期から東海時の寺領内なので可能性は低い。
とのことでした。しかし、写真に写された合流口のあまり大きくなさそうな管の径、合流口の形状(四角形)から、個人的には②が一番近いと考えています。 



三田用水本流→目黒川合流口? ①小関歩道橋北詰上流
①小関歩道橋北詰上流
三田用水本流→目黒川合流口? ②居木橋北詰上流
②居木橋北詰上流
三田用水本流→目黒川合流口? ③要津橋北詰下流
③要津橋北詰下流


目黒川合流口?

より大きな地図で 麻布の水系 を表示




これまで5回にわたってお伝えしてきた「水車ネタ」も今回でまとめて終了.....などと考えていたのですが、水車や流れていた渋谷川・古川、 三田用水とその分水などの位置を確認するために、生まれて初めて渋谷川暗渠開口部付近から古川河口部までの全区域7kmを数度に分けてたどってみた結果、 次回以降は予定を変更して引き続き古川、渋谷川の支流・分流開口部、三田用水分水合流点、調査中目にした野生動物などとともに、今回までに お伝えできなかった渋谷川暗渠から上流の隠田川などで稼働していた水車ネタなどを順次お伝えする予定ですが、調査は未だに未定です。 
















 スライドショー 

2013年7月4日木曜日

渋谷川~古川

天現寺橋下の古川・笄川合流口
以前「あざぶ」という地名の根源説のひとつである「アサップル伝説」の中で、太古の昔に東京湾が恵比寿辺まで入り込んでいたと書きましたが、渋谷駅近辺でビル建設時に大量の貝が発見されているという記事を発見して、さらに奥の渋谷までが湾奥であった事が解りました。そして、その後の湾奥は、曲流した多摩川から現在の古川へと姿を変えていったのだそうですが、今回は、はたして古川とはどんな川なのかを調べてみました。

古川の源流は新宿御苑にある「下の池」東側から川となって流れ出てる水流だといわれています。しかし残念ながら現在は御苑を出るとすぐに暗渠となってしまい、ここから渋谷駅付近までは川の姿を確認することが出来ません。御苑を出た川はすぐに玉川上水と合し流れを増します。昔、このあたりでは渋谷川は「余水川」と呼ばれ、御苑からの水量より玉川上水からの水量の方が多かったそうです。

その後川は原宿表参道付近で明治神宮の「清正の井」から湧き出て「南池」に落ちた後に川となった支流と合流し、渋谷駅付近で初台1丁目付近から流れ出る「宇田川」と合流します。そして恵比寿の手前で鉢山町あたりから流れ出た支流と合流し、天現寺交差点で青山小学校付近から流れる「笄川」と合流して麻布域に入ります。そしてその後、古川橋で北に流れを変え、一の橋で再び東へ向かい赤羽橋を経て芝金杉橋の先から海へとそそいでいます。この中で渋谷から天現寺橋までの渋谷区域2.9Km(暗渠以外)を「渋谷川」、それ以降の港区域4.3Kmを古川と呼びまた、水系的には二級河川「古川水系」と呼ばれ、そして「目黒川」、「呑川」と供に「城南三河川」と呼ばれています。

下流が二つに分かれる
正保年中改訂図の古川
古川下流域は昔、新堀川、金杉川、赤羽川とも呼ばれていました。これは江戸初期までの古川は三の橋から慶応交差点を抜けて東京港口に注いでいた川路が本流(入間川[いりあいがわ])で、三の橋~一の橋~金杉橋は支流の細流であったもの(芝区史)を、1667年(寛文7年)に幕府に岡山、鳥取の両藩が命じられて1676年(寛文7年)完成した工事で古川を芝金杉より麻布日ヶ窪まで改修して船の出入りを容易にしました。この時、工事を一番より十番までの工区にわけて行ったので十番目の工区はその後「麻布十番」となったそうです。またこの工事は前年2月に起こった大火の影響で凶作貧民となった民の失業救済事業であったともいわれる。そしてその後の1698年(元禄11年)にはさらに一の橋~四の橋までの川幅拡張工事を行い将軍綱吉が船で直接麻布御殿に入る為の工事を行い、本来支流であった三の橋~金杉橋が古川の本流となったといわれています。ちなみに現在港区内で古川にかかる橋は、以下の23橋。 (No.5 青山橋は2011年に撤去されました。) 



No.橋名No.橋名No.橋名No.橋名No.橋名
1.天現寺橋2.狸橋3.かめや橋4.養老橋5.青山橋
6.五の橋7.白金公園橋8.四の橋9.新古川橋10.古川橋
11.三の橋12.南麻布一丁目公園橋13.二の橋14.小山橋15.一の橋
16.新堀橋17.中の橋18.赤羽橋19.芝園橋20.将監橋
21.金杉橋22.新浜橋23.浜崎橋



最近の古川は、私が子供の頃の昭和40年代に比べて明らかにきれいになったようで、 清流の復活」という東京都の看板によると、新宿区の落合下水処理場からのオゾン処理した「高度処理水」を平成7年から旧玉川上水路を使って放水し、水量を維持したためとの事。平成8年度の東京都環境保全局による「中小河川環境実態調査報告書」によると渋谷橋ではタモロコ・モツゴ、鯉、ドジョウ、メダカ、ヨシノボリなど10種類、古川橋では9種類、金杉橋では1種類の魚類が確認されているようです。その他面白いものでは渋谷橋、古川橋でミシシッピ-・アカミミガメ通称ミドリガメが捕獲されていますが、これは縁日などで買ってきたペットを放流したものと思われます。また、この調査報告書によると港区内で古川に注ぎ込んでいる水の湧水地として、
四の橋辺の古川
先日、Yahoo! 掲示板 麻布倶楽部にも古川の「ボラ」、「鯉」の話題が出ていましたが、私も数年前に四の橋付近で40cmほどの鯉数匹を、つい先日には、新広尾公園近辺で50cm位のボラ数十匹と幼魚の大群をみつけた事からも説明できます。これは天現寺にある「


1,芝公園(もみじ台)
2,有栖川公園
3,麻布山善福寺(柳の井戸)
4,宮村児童遊園
5,がま池
6,根津美術館
7,自然教育園

の7箇所をあげています。 そして、一の橋公園内の噴水、放水は東電洞道湧水を利用した湧水であり、この調査時点では前項7つの湧水と供に麻布の湧水が確認されており港区の「港区街づくりマスタ-プラン」の中で古川を3つの軸の内の一つとして位置付け、一の橋公園は水の拠点とされています。また港区は、昭和62年に策定した環境整備基本計画で「古川の清流を復活し、緑と水の豊かな都市景観を備えた個性あるシン
五の橋脇に架けられていた「青山橋」
ボルゾ-ンとして整備を図る」として翌63年に河川環境管理財団に委託して「古川環境整備基本計画調査報告書」を策定し、その中で川を以下の4つのゾ-ンに区分して環境整備の具体的な方向性を示しました。


①水と緑のふるさとゾ-ン → 天現時~新古川橋
②親水プロムナ-ドゾ-ン → 新古川橋~二の橋、新堀橋~芝園橋
③親水プラザゾ-ン → 二の橋~新堀橋、新浜橋~浜崎橋
④親水文化ゾ-ン → 赤羽橋~新浜橋

※この文章は2003年頃書いたもので、現状と合致しない部分のあることをお伝え致します。












2012年10月12日金曜日

古川支流の合流口

昨日入間川は古川唯一の分流とお伝えしましたが、江戸期以前においては
この入間川が古川の本流であったとする説もあります。
しかし江戸期に入り細流であった現在の三の橋以降の掘削により本流とし、
逆に入間川を細流とする工事が行われた。とするものです。
この分流である入間川と古川の合流点は現在不明ですが、その他支流の
合流口は数多く残されています。

  1. 天現寺橋よりやや上流新橋と恵比寿橋の中間渋谷川北側護岸にいもり川合流口。
  2. 天現寺橋北詰真下に古川・笄川合流口。
  3. 狸橋南詰下流に三田用水白金分水合流口。
  4. 亀屋橋北詰上流にフランス大使館方面からの合流口。
  5. 四の橋北詰真下に天真寺水流合流口。
  6. 同南詰真下に白金池水流合流口。
  7. 新古川橋南詰真下に玉名川合流口。
  8. 古川橋北詰上流に南麻布方面からの水流合流口。
  9. 同南詰上流に志田町方面からの合流口。
  10. 古川橋下流カーブ東側護岸に龍源寺方面からの水流合流口。
  11. 三の橋東詰直下下流に新堀町方面からの水流合流口。
  12. 三の橋西詰直下に豊岡町方面からの水流合流口。
  13. 一の橋西詰直下やや下流に十番大暗渠合流口。
  14. 新堀橋北詰直下に狸穴方面からの水流合流口。
  15. 中の橋北詰やや下流に東麻布イースト商店街方面からの水流合流口
  16. 赤羽橋北詰やや下流に弁天池方面からの水流合流口。

この中で特筆すべきものとして、下記があげられます。




1 いもり川合流口


場所:渋谷川新橋と恵比寿橋の中間

いもり川
古川ではなく渋谷川域ですが、高樹町方面の水源から流れ下る
比較的大きな支流で臨川小学校脇を流れ下っています。またこ
の合流口はオレンジ色に変色しており、当初薬品の違法投棄
かと思いましたが、赤土の鉄分であることがわかりました。これに
より渋谷の地名の由緒の一つである「渋色の川が流れる土地」を
実感することが出来ます。

形状:丸大






2 笄川(竜川)合流口



場所:天現寺橋直下

笄川
古川域最大の支流で青山蛇ヶ池、根津美術館池などを
水源としていて笄橋、広尾橋などが架けられていました。
昭和初期に暗渠化。合流口形状は四角特大。下流部に
福沢諭吉の広尾水車がありました。

形状:四角特大







3 三田用水白金分水合流口


場所:狸橋北詰下流


三田用水白金分水
三田用水が現在の日の丸自動車学校付近で分岐し、下
流白金トンネル出口付近で自然教育園池水流と合流しな
がら流れた水流。

江戸期麻布御殿への上水流路。当時は掛樋か水道橋に
より古川対岸まで運んでいたとい われています。最下流
に福沢諭吉の狸橋水車がありました。

形状:四角大





7 新古川橋南詰真下に玉名川合流口


場所:新古川橋南詰直下

玉名川
白金今里の玉名池から八芳園池~清正公覚林寺辺を通
過して流れ下る水流。
最上流部には三田用水を使用した水車が2基ありまし
た。その落水が古川方面玉名池に流れ込んでいました。


形状:四角大





13 十番大暗渠合流口

場所:一の橋西詰直下下流

十番大暗渠
六本木から流れ下る吉野川、ニッカ池余水、藪下水流と内
田山麓でがま池、長玄寺、宮村水流が合流し十番通りを流
れた水流。大正期に暗渠化されるまでは、各商店は
自前で板橋を渡しこの水流を超えた。また十番の最繁盛期
であった大正期にはこの水流に専属の川さらい人足がお
り、買い物客が誤って落とした財布などを探して生計を立て
ていたといわれています。

形状:丸特大





14 狸穴方面からの水流合流口

場所:新堀橋北詰下流 

狸穴方面水流
六本木~飯倉片町~東京タワーへと続く外苑東通りは尾
根道で、江戸期には青山上水の流水路でした。この流水の
分流が狸穴坂を流れ下っていたため、その遺構と思われ
ます。

形状:丸中