2017年10月13日金曜日

麻布の小林多喜二 

小林多喜二
(wikipediaより引用)
「蟹工船」などを表しプロレタリア文学の代表的な作家として有名な小林多喜二は1933(昭和8)年2/20赤坂で特高警察に逮捕され築地警察署取調室での拷問によりに死亡しますが、その直前まで麻布周辺に潜伏していました。


死亡する前年の1932(昭和7)年4月、麻布区東町称名寺(現・港区南麻布1-6)の一角にあった家(現在の本堂の敷地)の一室を間借りして伊藤ふじ子と同棲し地下潜伏がスタートします。
その後、同7月麻布区新網町(現・港区東麻布3丁目)に潜伏、同9月麻布区桜田町(現・港区六本木6丁目)に潜伏しますが、警察に桜田町の潜伏先を探知され、1933(昭和8)年、渋谷区羽沢44(羽澤ガーデンあたり:現渋谷区広尾3-17)に潜伏先を変えます。その直前に同棲相手の伊藤ふじ子が勤め先において警察に逮捕され、その一月後には多喜二自身も赤坂において逮捕されることとなりますが、これは組織に潜入していた特高警察のスパイが仕掛けた罠により待ち伏せされ、20分間の逃走の後に溜池の電車通りで格闘の末に築地署特高課員に取り押さえられたそうです。

また麻布内に潜伏していた時期には多喜二は麻布十番商店街のヤマナカヤ果物店二階のパーラーをよく利用していたようで、同志との連絡場所、上京した母親との面会などもこの場所で行われていました。
この「ヤマナカヤ」は私が小学生の頃にはまだ十番商店街東側入り口角に残っており、さらに稲垣利吉氏が表した「十番わがふるわと」大正期と昭和期の地図を見ると場所は移動しながらも「ヤマナカヤ」が書き込まれています。多喜二が通ったパーラーは昭和期に描かれた場所である可能性が高いと思われます。

また時代は流れて元号が平成に変わってから、網代公園脇の麻布十番2-18-8に「白樺文学館 多喜二ライブラリー」が開館しますが、残念なことに私がこのネタを探し始めた頃の2008(平成20)年11/30には千葉県我孫子市に移転して「白樺文学館(〒270-1153 千葉県我孫子市緑2-11-8 Tel:04-7169-8468」として再スタートされたようです。


拷問により自らの命の最後を悟った多喜二は、母思いであった事から、

「母親にだけは知らせてくれ」

と嘆願したそうです。




wikipedia-小林多喜二


青空文庫-蟹工船


白樺文学館


猫の足跡サイト-浄土真宗本願寺派・憶念山 称名寺














多喜二が潜伏した憶念山 称名寺①
       







多喜二が潜伏した憶念山 称名寺②













大震災前の麻布十番商店街
(稲垣利吉「十番わがふるさと」より引用)




麻布十番商店街(昭和初期~15年頃)
(稲垣利吉「十番わがふるさと」より引用)










現在の同所 



















※一部画像はwikipediaより引用