2019年4月8日月曜日

⑤白金台三丁目遊び場

白金台三丁目遊び場

三田用水遺構脇の小階段を上った先にある小さな公園「白金台三丁目遊び場」ですが、このあたりでは差し迫る変化点二題を抱えているようです。
順番が前後しましたが、三田用水遺構と今里橋の間には小さな公園と球技スペースを持った「白金台三丁目遊び場」があります。
実は今回今里を歩こうと決めたのは、二つの変化により今里町の景観ががらりと変わってしまうことが決まっているからです。
一つ目はプラチナ通り(都道418号線・環状第4号線)坂上プラチナドンキホーテ辺りで止まっていた環状4号線が今里町→猿町→グランドプリンス高輪を抜ける進延工事が決められているようで、この道路が完成すれば猿町~今里町の閑静な住宅街は一変し三田用水遺構や今里橋欄干は道路拡張により本来の流路上にある現在の遺物は姿を消すものと思われます。
◎東京都市計画道路幹線街路 環状第4号線及びその延伸部 - 東京都建設局
 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000005443.pdf
遊び場入り口の欄干
また、もう一つの変化は環状第4号線及びその延伸により影響のある「白金台三丁目遊び場」を保育施設に変更するというものです。しかし一方では近隣に公園などが少ないため反対運動も起こっており(道路工事の更なる遅延も加味して?)私が同地を訪れたおりには今年10月に工事が開始される予定であった「港区白金台保育私設」の港区による説明会が昨日2/19に行われたようです。
この二点の計画により猿町~今里町の様子が大きな変化を遂げてしまうのは必須かと思われます。
この「白金台三丁目遊び場」は別名「リス公園」と呼ばれているようですね。





◎東京都市計画道路幹線街路
 環状第4号線及びその延伸部 - 東京都建設局

 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000005443.pdf

◎白金台の保育施設計画ニュース

★3D檄坂Map-品川区・港区境界編
 http://deepazabu.net/3D/kitasina-taka/index.html















遊び場入り口に掲示された保育施設説明会案内書


















保育施設説明会案内















道路拡張計画により階高制限があるドンキホーテ















道路拡張計画と今里







☆町歩き表紙に戻る☆




2019年4月7日日曜日

⑥今里橋の欄干

◎今里橋の欄干
三田用水遺構脇の階段を上り、少し歩くと「白金台三丁目遊び場」への入り口に三田用水をまたいだと思われる小さな石橋があり、さらに歩くと道路脇にコンクリート製の欄干が見えてきます。これは「今里橋」の欄干で「増補港区近代沿革図集 高輪・白金・港南・台場」にはその諸元が記されています。


◎今里橋
【所属地名】芝区白金今里町116
【構造種別】鉄筋コンクリート
【延長】3.000m
【幅員】3.300m
【面積】9.900㎡
【架設年月日】昭和5(1930)年11月
【架橋経費】556,080円
【川名】三田用水路(芝区史)


この今里橋を含めて今里町域の三田用水には「上今里橋」「今里橋」「南里橋」「猿町橋」4つの橋が架けられていたようですが、現在まで残されているのはこの欄干のみとなりました。

近年今里橋欄干に「南里橋」とスプレーで落書きをされてしまった画像をネットで見たことがありますが、これは明らかに橋名を誤っており、南里橋があったのは「今里地蔵」前です。
また、玉名池に水を供給していた三田用水久留嶋上口分水路にも橋がありこちらは「玉名橋」と呼ばれていたそうです。

★3D檄坂Map-品川区・港区境界編
 http://deepazabu.net/3D/kitasina-taka/index.html















④三田用水遺構


三田用水遺構と解説板
今里地蔵から三田用水の水路跡沿いに歩くとコンクリートで作られた「三田用水跡」と解説板があります。

三田用水の詳細は下記サイトをご覧頂くとして、三田用水は細川用水と併走して一貫して流路を保っており、このコンクリート造の水路模型もそれを再現しているのでしょうか?あるいはこの今里辺りは分水嶺となっており、この尾根の北にある古川・玉名川に落とす分水用と南の目黒川に水を落とす分水用に分けていたのかもしれません。

この分水の中で久留嶋上口分水路は一旦玉名池にな流れ込み、さらに玉名川となって覚林寺境内北上し現在の新古川橋
あたりで古川に流れ込んでいました。今でもこの新古川橋の橋下には現在も古川へと水を落とす四角い大きな合流口が残されています。

二つに分かれた流路

この三田用水分水から流れ出た水は水車を上掛けで廻すための水力として使用されました。

玉名川にも二基の水車が架けられていましたが、のどかな田園風景で水輪を廻す水車などというものでは無く恐らくは水を動力として使用した近代的な工場であったのかもしれません。

ちなみにこの二基の水車は精米(搗米)と硝子磨切で使用されていたようです。

この玉名川に一旦水を溜めた「玉名池」は明治になると恐らく埋立により姿を消し、当時の地図には渋沢喜作邸に江戸期には無かった池が描かれてその池にも三田用水由来と思われる水路が描かれていますこの敷地は現在目黒八芳園となっています。

解説板
また埋め立てられたと思われる玉名池の脇にも大久保利和邸の大きな池が描かれていますが、この池は江戸期の地図にも
玉名池と共に描かれており川越藩松平家の屋敷であったようです。

玉名池と鴨池を同じ池とする書籍がありますが、もしかしたら別々の池であったのかもしれません。

またこの付近から三田用水を分水(久留嶋上口分水路)し玉名池へと落とし込み玉名橋を通って覚林寺前~新古川橋まで流れていた玉名川が流れていました。
明治期に玉名池が埋め立てられると現在八芳園池となっている池に引き込まれた後、玉名川となって流れ下ります。




レンガ色の通路が三田用水流路




久留嶋上口分水路と旧久留嶋上口分水路







新古川橋下の玉名川合流口



◎Blog DEEP AZABU-三田用水
 https://deepazabu.blogspot.com/search…

★3Dさんぽ214Map
http://deepazabu.net/3D/sanpo/index.html

★3D檄坂Map-品川区・港区境界編
 http://deepazabu.net/3D/kitasina-taka/index.html



 
☆町歩き表紙に戻る☆







③三田用水南里橋・今里地蔵


◎南里橋
南里橋付近

 三田用水が今里に入ってから3番目の橋、今里橋の下流。

【所属地名】芝区白金今里町・芝区白金猿町71
【構造種別】木造
【延長】2.727m
【幅員】3018m
【面積】8230㎡
【架設年月】昭和4(1929)年1月
【架設経費】137,728円
【川名】三田用水路

橋脇に今里地蔵が遷座したのは終戦後といわれています。








◎今里地蔵

今里地蔵は大正期に鈴木光三郎という鳶職が1915(大正4)年頃に上大崎一丁目辺のあぜ道でこの地蔵を見つけて、祠を作りお祀りした。
しかし1945(昭和20)年頃の道路拡張により移転を余儀なくされ、現在地に移ったとのネット情報がありますが、私がこの地蔵堂を清掃していた方に偶然お会いして伺った話では五反田田圃から白金猿町交差点付近。そして櫻田通り拡張のため現在地に移設....っとお聞きしたような気がしますが、記憶違いなのかもしれません。
いづれにせよこの地蔵堂がこの地にお祀りされたのは戦後の1945(昭和20)年以降となります。

★3Dさんぽ214Map
http://deepazabu.net/3D/sanpo/index.html

★3D檄坂Map-品川区・港区境界編
http://deepazabu.net/3D/kitasina-taka/index.html








 
今里地蔵右路地は三田用水流路
 






元禄今里地蔵碑
 






今里地蔵さま
 














地蔵堂前に安置された小さな地蔵尊










 
☆町歩き表紙に戻る☆















2019年4月6日土曜日

②三田用水 猿町橋・日本家畜市場跡


★三田用水猿町橋
猿町橋あたり

・三田用水の橋
 今里に入ってから4番目の橋、南里橋の下流。

【所属地名】芝区白金猿町・今里町
【構造種別】単桁木橋
【延長】2.00m
【幅員】2.727m
【面積】5.454㎡
【架設年月】昭和4(1929)年2月
【架設経費】111,423円
【川名】三田用水

この猿町橋があったあたりには約200m先の「畠山記念館」の標識が建てられています。

◎荏原製作所・畠山記念館
 http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/index.html



畠山記念館が所有する「細川井戸茶碗」は「喜左衛門」、「加賀」とともに「天下三井戸」と称される大井戸茶碗で重要文化財に指定されています。また、 この茶碗は麻布茗荷谷のくず屋正直清兵衛を始め正直者しか出てこない人情落語「井戸の茶碗」に登場します。

◎youtube-井戸の茶碗
古今亭志ん生
 https://youtu.be/5CHy2mfmtgs


町歩きは一番右の路地を進みます。


三田用水今里内の橋



細川井戸(畠山記念館サイトより引用)




★日本家畜市場
 東京初の屠殺場


日本家畜市場
今里に「屠畜場」が設置されたのは明治維新の1年前慶応三(1867)年で東京(江戸)で初めての食肉用の屠畜場が設置されました。
屠畜場が設置される前年の慶応二(1866)年、中川嘉兵衛は横浜から江戸に出てイギリス公使館があった高輪東禅寺付近に牛肉店を開業します。
しかし横浜の屠畜場から江戸間で肉を運ぶより江戸に屠畜場を設けた方が新鮮な肉を供給できるとして場所を探します。
これは交通機関の発達していなかった当時は横浜から牛肉を運んでも夏場などには腐ってしまうためです。
しかし、四つ足の動物を殺して食べるという行為から「土地の汚れ」を理由に貸し主は見つかりませんでした。
しかし、当時は江戸郊外の趣が濃かった白金今里の名主の堀越藤吉が畑の一部を提供することとなり、慶応三(1867)年五月この場所(現在の港区白金台二丁目)に屠畜場が開場します。そして併設して食肉販売二号店も開設します。
しかし、しばらくすると周辺住民から反対運動を起こされ中川嘉兵衛、はやむなく屠畜場を本芝へと移転し堀越藤吉に屠畜、各国公使館への牛肉納入権利、牛肉販売権を、今里の名主の堀越藤吉に譲渡して自らは別の事業に全力を傾けます。この譲渡は中川嘉兵衛と堀越藤吉が縁戚関係にあったからともいわれています。
これにより堀越藤吉が芝露月町に中川嘉兵衛の名前を借りて「牛鍋 中川」を開店し、繁盛店となります。そして屠畜場も再び白金今里に戻ります。
この本芝時代に屠畜場は一時官営化されますがやがて再び私営となります。この官営屠畜場時代に分離したのが麻布本村町の屠畜場でした。
実は中川嘉兵衛が始めた新しい事業とは、牛肉の長期保存を可能とする「製氷業」でした。
また中川嘉兵衛は江戸に出店する前にも横浜で異人向けの商売を展開しており、慶応三(1867)年横浜で発行されていた十月版の「万国新聞紙」第7集の広告に、
パン、ビスケット、ホットル
此品私店に御座候。御求め願い奉り候
横浜元町一丁目、中川屋嘉兵衛
とあり、パン製造の他に、ビスケット、そして牛乳なども製造していた事が知れ、中川(屋)嘉兵が衛時代の最先端を走っていたことがわかります。
また中川嘉兵衛に食品衛生上の製氷業の重要性を説いたのはヘボン式ローマ字の考案者ジェームス・カーティス・ヘボンでした。
眼病を患った中川嘉兵衛が診察を受けたのが医師で宣教師ヘボンでのちに明治学院大学初代総長となります。
そしてヘボンの影響から中川嘉兵衛はキリスト教プロテスタント信者となりますが、その際共に横浜の海岸教会で洗礼を受けたのが写真家の草分けである下岡蓮杖だそうです。
明治期の新聞記事は白金今里のニュースとして、
・1887(明治20)年3/31読売新聞朝刊
 屠獣場が本芝から白金今里に移転
・1892(明治25)年10/30朝日新聞朝刊
 牛疫発生による白金周辺の牛の通行遮断
・1894(明治27)年4/13読売新聞朝刊
(広告)日本家畜市場移転
・1901(明治34)年1/4読売新聞朝刊
 日本における牛肉食用の起源
 
 牛肉屋の開祖
 牛肉屋第二世
 
・1901(明治34)年1/5読売新聞朝刊
 日本における牛肉食用の起源
 初めて牛肉を喰うた人(福沢諭吉の名あり)
 牛鍋屋の光景
 肉食流行の時期
 牛肉屋増加の一因
 
・1903(明治36)年5/19読売新聞朝刊
渡世のいろいろ(29)牛肉商
・1980(昭和55)年11/27朝日新聞朝刊
20世紀の軌跡-すきやき
冒頭でお伝えしたAkiro Suzukiさんのコメント「当時の牛鍋店」の屋号には「今里ブランド」の牛を使用していることを
伝えるために「今」という字を使った屋号が多くあった。とのことでしたが書籍「明治・大正・昭和東京の料理店番附案内集成」
には明治期と思われる「牛料理店番付」が掲載されています。
それによると「今」がつく店だけでも、
東の横綱 神田錦町 今文
  大関 仲見世  今半
  関脇 芝口   今朝
  前頭 蛎殻町  今清
     竹川町  今源
西の関脇 馬喰町  今清
  前頭 東元町  今光
     淡路町  (中川)
     南茅場町 今半
     今川小路 今荘
     上野三橋 今松
行司  三田四国町 今福
勧進元  竹川町  今静
※中川だけは例外です。





と、全部が今里ブランドを唄った店名かはわかりませんが、それでもたくさんの牛料理店が「今」を冠していることがわかりました。
いづれ、この中川牛肉店に福沢諭吉が訪れていた痕跡など、何か見つかればご紹介したいと思っています。
この記事を書くきっかけを作って頂いたAkiro Suzukiには謝辞を述べさせて頂きます。ありがとうございました()/
今回をもって★散歩の続き.....①~⑬は終了とします。


※追記7/20

中川嘉兵衛を調べていたら「木村荘平」という興味深い人物を見つけました。

◎明治の豪傑“いろは”木村荘平
 https://ameblo.jp/yorkshare/entry-11800352281.html

◎Blog DEEP AZABU-三田育種場興農競馬場
    https://deepazabu.blogspot.com/search?q=%E4%B8%89%E7%94%B0%E8%82%B2%E7%A8%AE%E5%A0%B4%E8%88%88%E8%BE%B2%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E5%A0%B4















◎国会図書館近デジタルコレクション
 安愚楽鍋 : 牛店雑談 一名・奴論建. 初編
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/882303/1
◎国会図書館近デジタルコレクション
 安愚楽鍋 : 牛店雑談 一名・奴論建. 2編 上,下
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/882304/1
◎国会図書館近デジタルコレクション
 安愚楽鍋 : 牛店雑談 一名・奴論建. 3編 上,下
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/882305/1
◎繰り返された「と場」の「廃止と移転」
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/…/kus…/hpg000009945.html
◎東京開化繁昌誌. 初編 巻之下
 牛店繁盛 挿絵有り
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/995163/2
◎芝浦と場発足までの変遷と役割
http://www.city.meguro.tokyo.jp/…/hens…/hensentoyakuwari.pdf
◎<第1回> 中川嘉兵衛と氷業のはじまり
 https://www.nichirei.co.jp/ko…/category/ice_history/001.html
◎wikipedia-ジェームス・カーティス・ヘボン
 https://ja.wikipedia.org/…/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%8…
<その他の参考書籍>
・近代日本食物史
・日本料理史考
・日本畜産史
・100年前の東京
・明治・大正・昭和東京の
 料理店番附案内集成
・読売新聞データベース
 ヨミダス
・朝日新聞データベース
 聞蔵Ⅱ



















日本家畜市場移転広告1894(明治27)年4/13読売新聞朝刊






東京市芝區全圖 : 明治四十(1907)年一月調査に描かれた
日本家畜市場、東京共有屠牛場、玉名池




















☆町歩き表紙に戻る☆