2013年5月30日木曜日

墓石磨き魔の横行

文政の頃、寺に忍び込み、見ず知らずの墓石や石塔を勝手に磨いたり、洗ったりして廻るという何とも不可解な犯罪が続発していました。

この怪事件?は文政10(1827)年9月18日の夜から始まり、9月いっぱい続いたといいます。麻布、赤坂、芝などを中心に三十ヶ寺が被害にあい、宗旨も無関係で、多い寺では一度に三十本もの墓が磨かれてしまった。しかし、有名人の墓を磨くとかではなく、磨きやすそうなものをランダムに磨いたようで、その手口に一貫性は全く無いようです。
庶民の墓は2尺程で1人でも磨けたでしょうが、4尺もある大名の墓も磨くため、押し倒されるなどの被害に遭っており、とても1人の仕業とは考えにくく、奉行所も隠した者は名主、家主まで罰すると触れを出し厳しく詮議を始めたが、一向に犯人は上がらなかったそうです。その後風聞を聞きつけて模倣犯が続出し、9月末には浅草、十条、滝野川などにも飛び火し江戸中の墓石が磨かれたといいます。

しばらくして騒ぎは一旦収まりますが、天保元年(1830年)7月、今度は武州岩槻、越谷、草加、土浦、などで再び流行り、9月には江戸で再び再燃し、江戸市中だけでも286本もの被害が出たそうです。今度は前回よりも手が込んでいて、墓に彫ってある文字に朱や金を入れたり、戒名のうち一つだけを洗ったり、年号のみを磨く、前面のみを洗うなどであったそうです。噂は噂を呼び、願をかけた者が行ってる、切支丹の仕業、狐狸の仕業などといわれましたが、今回も結局判らず終いで、中には、夜に墓を洗っている者を見かけたので、男が5人で追いかけたが、賊は足が速く中々追いつけず、やっと追いつくと賊は女で捕まえようとしたが格闘の末、逆に追っ手が捕まって5人の内3人が髪を切られてザンギリ頭になってしまったといいます。

しかし、何度考えても不可解な事件で、事件というよりは流行りのようなものだったのでしょうかか?何か現代の犯罪にも通じる不条理感が漂う事件です。  っていうか、これホントに事件なのでしょうか?

また関連事項としてほぼ同様の事件?が広尾祥雲寺でおこった「奇妙な癖のある人」という話として残されています。