2013年5月19日日曜日

麻布の野生動物-その1

ハクビシン
今から4年ほど前の2009(平成21)年春、以前高輪支所でハクビシンが捕獲されたという情報を偶然目にしました。
それまでも麻布周辺の野生動物には興味があり、少し調べると麻布域にも野生動物の目撃例が少なくないことがわかりました。 
これまでお伝えしてきたように麻布と動物の関係は深く、狸穴、狸坂、狸橋、狸蕎麦、狐坂、鼬坂、鼠穴(三田)など動物を元にした地名も多くありました。
また、江戸の間近な郊外として多くの樹木を有する藩邸(多くは隠居所などと使用されることが多かった下屋敷)がありさらに農耕地も多かった麻布には多くの野生動物が住み着いていたものと思われます。
明治になってもしばらくは東京の郊外という位置づけはあまり変化せず、藩邸は桑茶政策の畑地を経て再び明治の元勲などの屋敷となります。さらに、明治末期から大正時代にかけてそれまで郊外という位置づけであった麻布にも都市化の波が押し寄せ、大手デベロッパーの
開発が始まります。そして第一次世界大戦が始まると好景気により古川端の町工場に大量の労働者が流れ込み、その労働者の住まいとして、今まであまり活用されなかったような土地までもが宅地化されていきます。

この麻布開発を行っていた大手デベロッパーによりがま池周囲の整地と宅地化、西町周辺の分譲、仙台山と呼ばれた竹谷町域の分譲などが行われ、その頃から都市化が急速に進んで、狸坂からも狸が姿を消したといわれています。また関東大震災で破損した東京天文台が麻布台に再建されなかったのは、この宅地造営などによる麻布の都市化(夜間の光害)も一因とされているようです。
それでも、江戸、明治と受け継がれてきた大きな邸宅の庭にある屋敷林は多く残され、戦後も昭和40年代前半頃まではこの風情が残されていました。
しかし、その後邸宅のマンション化が始まると野生動物を目撃することも皆無となり、これまでお伝えしてきたように麻布における野生動物を扱う新聞記事もペット化された野生動物のみとなりました。

そして、野生動物が忘れ去られた頃に麻布に隣接する高輪支所でのハクビシン捕獲は私にとっては大きな驚きでした。さらにその後麻布中央部でもハクビシンが捕獲されることとなります。 
次回は麻布周辺でのハクビシン目撃をお伝えします。