2012年12月25日火曜日

徳川さんのクリスマス~麻布本村町(荒 潤三著)より 

麻布本村町の出身で、本村小学校の卒業生でもある荒 潤三氏の著書「麻布本村町」に「徳川さんのクリスマス」という項があります。

ちょうど「麻布のクリスマス」を探していたところだったので、是非この話を掲載したいと思い電話帳で荒氏を探し当てました。そして、当サイトの趣旨を説明した所、掲載の御快諾を頂くことが出来たので感謝しつつ、クリスマスにちなんでご紹介します。
南麻布4丁目(旧富士見町)の現在フランス大使館になっている敷地は、江戸の頃は青木美濃守、戸沢上総介の下屋敷であり、荒氏が5~6歳の頃(昭和5~6年)は松平春嶽の四男で尾張徳川家の養子となった元尾張藩主17代目の徳川義親候の屋敷でした。義親候は学習院在学中に「ジンマシン」で苦しみ、転地療養でシンガポ-ルに滞在した折、虎狩りをしたので、虎狩りの殿様と言われたが、一面学究肌で気さくな人だったといいます。

荒氏が小学校に入学する前の年(※昭和初期?)、徳川さん出入りの商人、職人たちに声がかかり、その子供たちがクリスマスの夜、屋敷に招待されたそうです。
荒氏の親戚もお抱えの植木職人だったので声がかかりましたが、子供がなかったので、荒氏とその兄が出かけることになりました。よそ行きの洋服 に羊の毛皮のマントを羽織って、店員に連れられて屋敷につきました。そして門を入ると、とんがり屋根の西洋館があって、玄関から中に入ると今まで暗い夜道を歩いてきたので、別世界のようであったと記されています。

明るい照明の下、スト-ブやペチカが燃え、にぎやかな子供たちの声がする部屋に案内されると舞台が設置されていて、そこには口紅をつけ、腰みのをまいた南洋の原住民に扮装した男が腰を振りながら、面白おかしく踊っています。しばらくしてショ-が終わると、広い部屋に案内されました。そこには、大きなシャンデリアが下がり、輝くような明るさであったそうです。
真っ白なテ-ブルクロスのかかったテ-ブルには大きなデコレ-ション・ケ-キが置いてあり、おのおのが自由に切り取って食べられる様になっていました。




はじめは気後れしていた荒兄弟も、兄が見様見真似でケ-キを切り取って潤三氏にサ-ビスしてくれました。普段まんじゅうや大福を食べていた荒氏は、初体験のケ-キの味に”上の空”になってしまったとあります。(もっとも当時、ケ-キを食べたことがある子供など、そうはいなかったであろうと思われますが)そして、その晩の事は、見るもの聞くものも、ただただ驚くばかりで、こう言う所もあるものかと口も聞けなかった。と「麻布本村町」には記されています。

この夜の様子を氏は、かなり興奮気味に記しており、65年以上たった現在もありありとその夜の事が浮かび上がってくる様がうかがえ、

帰りに玄関の所で、サンタクロ-ス姿の人が、おみやげを渡していました。それを受け取りマントを羽織って外に出ると、冷気の中、し-んと静まりかえったお屋敷町を迎えの店員と三人で歩いて帰った。

とあります。

「麻布本村町」には、昭和初期、まだ一般にはあまり祝うことがなかったクリスマスの情景が生き生きと描かれています。






徳川義親邸付近の青木坂(富士見坂)


























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