2013年3月4日月曜日

小判を呑んだ老僧<愛宕>


江戸の口碑と伝説という書籍から「小判を呑んだ老僧」というお話をご紹介します。

寛保(1741~44年)のころ、芝愛宕町に良覚という老僧が住んでいました。この良覚はかなりの高齢で病の床についていました。しかし、友人・身寄りも少なく、たまに甥だという男が訪ねてくるだけであったそうです。
甥は見舞いに来ると必ず医者の診断を受けて薬を飲むようにといいました。しかし、良覚は「金が惜しい」と医者にかかることを一向に取り合いませんでした。


江戸期の芝愛宕辺
ある日見舞いに来た甥に、

「なるべくやわらかい餅を200ばかり買ってくるように」

と、良覚は妙な依頼をします。
そして甥は良覚にいわれたとおり餅を買ってきますが良覚は一向に食べる様子がありません。
仕方なく甥は戸棚に餅をしまって帰っていったそうです。

そして二日が過ぎて再び甥が見舞いに訪れると、良覚はすでに亡くなっていました。そして戸棚を調べると良覚が餅を48ほど食べたようで、残った餅が盆に乗せてありました。その盆を片付けようと甥が持ち上げると、盆はずしりと重かったそうです。不思議に思った甥が餅の一つを割ってみると、中には小判が入れてあり、残りも割ってみるとすべて小判が入っていました。

人一倍お金への執着が強かった良覚が自分の死期を悟り冥土に持って行こうとしたと悟った甥は、そのことを早速奉行所に届け出ます。すると奉行所から役人が来て検死の結果、腹の中に小判を入れたまま埋葬するのは金の冥利に背くと判断されたので、良覚を火葬にして遺灰から48枚の小判を取り出し、盆に残った小判とあわせて甥に下げ渡しました。

しかしその晩から甥の枕元に金への執着を残した良覚が毎晩現れ、小判を返せとせまったそうです。眠ることも出来なくなった甥は困り果てて再び奉行所に相談し、その小判をすべて各寺々に寄進しました。そしてそれ以降良覚は甥の枕もとに立つことは無くなったといいます。


この話を聞いて落語の「黄金餅」を思い浮かべる方は多いと思います。場所は落語黄金餅が下谷、この老僧の話が愛宕と少し場所が違いますが、金に執着のある老僧が金を飲み込む(この話では小判を呑んでいるが、噺のほうではより現実的に小粒)と状況が似ており、もしかすると噺の原型となった事件であったのかもしれません。
さらに、この落語は明治初期の大落語家 三遊亭圓朝が創作した当時は、僧が死んだ長屋は芝将監橋脇の長屋でしたのでこの話とさらに類似していました。







噺の比較
事 柄圓朝原作志ん生窓のすさみ江戸の口碑と伝説港むかしむかし
主人公名前金兵衛金兵衛甥なる士良覚の甥良覚の甥
裏長屋芝将監橋横下谷山崎町芝邊芝愛宕町芝愛宕町
隣の住人托鉢僧 源八願人坊主 西念洞家の僧良覚良覚
道中付け
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道 行将監橋→麻布三軒家山崎町→麻布絶口釜無村
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寺までの移動距離
約2.3km
約13km
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寺の名前麻布三軒家貧窮山難渋寺麻布絶口釜無村木蓮寺
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戒名安妄養空信士
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モデルと思われる寺市谷山 長玄寺?日東山 曹渓寺?
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 なを、この話は 「窓のすさみ」の他の書物にも類似した話が掲載されています。 



◎関連項目

      ・DEEP AZABU 黄金餅
   ・圓朝のくたびれない黄金餅







 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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