2013年3月18日月曜日

光福寺の大いちょう

しながわの昔ばなし
前回お伝えした品川区大井の古刹光福寺の大銀杏は、高さ40メ-トル、幹廻り7メ-トルもあり、明治の頃までは出漁した漁師たちの航行の目印として使われていたそうです。つまり、現代の灯台の代わりとして漁師に利用されていました。

この大いちょうにまつわる昔話が残されており、「しながわの昔ばなし」という書籍に掲載されています。今回はその光福寺の大銀杏にまつわる昔話をお伝えします。


むかし、むかし、この寺の庭の手入れをしていた植木職人の親方が、あまりにも伸びすぎたイチョウの枝をおろそうと思い、弟子に声をかけました。


「おい、お前、その仕事が済んだら、あのイチョウの枝をおろせ!」
「親方、それはいけませんや!」
「どうしてだ!」
「私の爺さんが、光福寺の大イチョウは、祟りがあるからさわるな!と良く言ってました。」

光福寺の大いちょう
 「わしも聞いてはいるが、いちいち怖がってたら、植木屋なんかつとまるか。そんなバカな事があるものか!」とどなりました。
「そう言われれば、そうですね。」と言って、
弟子は、その日の夕方、はしごをかけて大イチョウに上りました。南の方に伸びている大きい枝を切ろうとして、
のこぎりを枝の中程に当て差し込んだ時です。
どうしたはずみか、足をすべらせて、ずしんと地面に落ちてしまいました。
親方をはじめ、寺男や小僧たちがかけつけて介抱すると、気を失っていた弟子は、やっと気がついて目を開けました。

「あっ、よかった。気がついて。」
「おい、しっかりしろ!」
「大丈夫か?」
と、口々に声をかけましたが、気がついた弟子は、あたりをきょろきょろと見回しているだけで、一言も言葉を発しません。
「どうした、わかっているのか?」
「しっかりするんだ!」
そのうちに弟子は、「あ-、あ-。」と言い出しました。
いちょうと解説板
「どうしたんだ、何とか言えよ!」
「あ-、あ-。」
弟子は、ただ「あ-、あ-。」と言うだけで、言葉は一言も話せなくなってしまったのです。

その翌日、うらめしそうにイチョウの木を見つめている植木屋の親方に、「親方、仕事が済みましたら、お茶でもいれましょう。」と、寺男の爺さんが声をかけました。
「ありがとう......」
「どうしました、イチョウの木を眺めて。」
「だって、いまいましいじゃないか、昨日は若い者が落ちて、口がきけなくなってしまった。」
「昔から、この大イチョウには、はさみを入れない事になっていますんで........」
「祟りがある。そんなバカな事があるものか、木が切れない植木屋じゃ仕方ない。よし、わしが枝をおろしてやる!」
「親方、危ないからおよしなさい。」
「何が危ないんだ!四十何年、木と言う木を切り、高い所へ登りつけているわしだ。木の上は、地上と同じだ!」
「人の止める事は、やめるもんですぜ。ねっ、親方。」
「言い出したら後へは引かない俺だ。若い者は、修行が足りないんだ。わしの腕前を見せてやる。」

いくら寺男の爺さんが止めても、言う事を聞かず、親方は、はしごを登り始めました。

昨日弟子が登った枝より、もう2つ上の高い枝に登って、長く伸びた枝にのこぎりを立てた時です。
いきなりもんどり打って、マッサカさまに落ちて、庭石に頭を打ち付けたからたまりません。
親方は、そのまま息が絶えてしまいました。


それからは、この大イチョウには、誰一人として刃物を加える者がいないので、思う存分に枝を伸ばし、樹齢をかさねています。 














 
 
 
 
 
 
 
 






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