2013年3月2日土曜日

白禅寺の幽霊<白金>

ある日図書館で、雑誌のバックナンバーをパラパラとながめていると「白禅寺境内の亡霊騒ぎ」と題した文章を発見しました。そしてそして、その文章を読んでいくうちにその亡霊騒ぎが江戸時代の話ではなく、戦後との事であったので興味がわき、その文の原型となる昭和26年7月29日(日)の毎日新聞を早速読んでみました。以下はその概略。



白金蜀江坂
港区白金にある聖心女学院裏の白禅寺境内にあるトウモロコシ畑に囲まれた一軒家に住む天谷ちかさんが夕涼みで庭に出ると、白い詰襟に紺の半ズボンをはいた16~7歳の少年が入り口の石段にションボリとたたずんでいた。ちかさんが不審に思って声をかけようとしたが何故か顔と足がぼんやりとしていてそのままス-ッと暗闇の中に消えていったそうです。

また、これより一月ほど前に同家では夜になると戸の隙間から17歳位の少年が家に入ってきて枕元に立つので、隙間に目張りをしたがそれでもおさまらず、毎夜現れて家人を苦しめたといいます。

家人がこの話を付近の人に話したところ、終戦の年(1945年)の7月に同じ所に住んでいた17歳の少年が不発弾の処理中に誤って爆死してしまったので、同地内で荼毘にふした事が判り、その亡霊が現れるのだろうということになったそうです。

それ以来近所でも評判となり、夜は気味悪がって人通りも少なくなってしまったので、7月27日にはとうとう亡霊の供養まで行ったとあります。そして新聞は最後に高輪警察署巡査の、

       「騒ぎは聞いているが、所詮、迷信深い人達ばかりだから騒いでいるのだろう。」

と言うコメントで結んでいます。


興禅寺
この話しを調べるために付近を散策してみましたが、白金三光町に「白禅寺」という寺は見つからず、また近代沿革図集にも昔から白禅寺は見当たりません。そこで私は新聞が「興禅寺」と間違えているのではないかと仮定しました。(もし白金白禅寺さんをご存知のかたはご一報下さい。)

新聞にはトウモロコシ畑と民家の写った写真が掲載されていますが、私が生まれる少し前まで白金に畑があったとは驚いてしまいました。
また、終戦後にこの幽霊話が新聞に掲載されているのは、人々の記憶に戦争の傷跡が生々しく残されていた時代背景があったこと、そして、不思議な話を信じる感覚がまだ残されており一般的であったことを裏付けているものだと思われます。

余談ですが、この記事を掲載した新聞の同ページ下段には映画案内が掲載されていて、高輪映画では「神変美女峠・マンガ」、広尾銀映では「母恋草・牢獄の花嫁」、芝園館では「母を慕いて」が上映中であったことが記されています。
















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