2013年5月23日木曜日

六本木随筆のがま池


1999年のがま池
1967(昭和42)年から大衆文芸誌に連載された「六本木随筆」は作家村上元三が自宅のある六本木付近の変遷を書いた随筆です。文中では麻布近辺についても「麻布七不思議」、「鳥居坂について」、「麻布十番」などが掲載されていて、その中で「蝦蟇池」と題した項が昭和47年5月に書かれているのを見つけました。



この随筆が書かれた当時、がま池では池を削ってマンションを建てる問題が新聞に掲載されていた時期でしたので、随筆はその反対運動の新聞記事を追っています。そして、その経過は現在(2001年頃)のがま池を巡る状況と酷似しています。
作者はその新聞記事からとして保存運動を行ったのが日本人よりも付近に昔からある大使公使館員、駐日新聞記者、商社 らの外国人であると述べています。
1972年(昭和47年)3月4日付毎日新聞朝刊の社会面「問いかける群像」の中で、
「ガマ池が消える、伝承の地にも破壊の波、怒った、立った外人が...」

と題した記事が掲載されていて、池の伝説の紹介や、がま池以外の多くの旧跡名所跡がすでに破壊されている事を伝え、さらに当時池の保存運動を行ってったのがドイツ大使館一等書記官、タイム・ライフ東京総局長、フランクフルター・アルゲマイネ新聞極東特派員、海運会社社長夫人、ボウリング会社日本代表などの外国人らであったことを伝えています。
2001年工事中のがま池
活動は近隣住民への回覧板の巡回、池の歴史的研究、署名運動を行ったようで、当時の環境庁長官、東京都知事への陳情も行い、外国人側の呼びかけにより地元の有志もこれとは別に3,800人の署名を集め、港区議会へ「がま池保存の請願書」を提出します。

その請願は区議会により全会派の賛成で採択され、区や都、環境庁も「善処」「検討」を約束しました。これにより外国人保存運動家たちも安堵し、「がま池はたぶん助かる」と思い込もました。

しかし、当時の区長は自身ががま池で遊んだ体験を語りながらも、財源不足を理由に都、国が用地買取を行って欲しいというお気楽な責任転換でその場をやりすごし都は、

港区が将来公園化するのであれば先行取得も可能だが、区はその気が無いようだ。

とし、環境庁は、

所管外でどうにも出来ない都に善処してもらいたい。


とたらいまわしとなったあげく、当時のガマ池所有者は、

都、区が買い上げてくれるなら手放すが、生活権上(マンションを)建てざるをえない。


1972年のガマ池保存運動を伝える
毎日新聞記事
としてると記述されている。記事はここで終わっていますが、結果的にマンションは建設され、がま池が縮小されたのは周知のことです。この記事で文中で外国人保存運動家たちが言ったとされる言葉が非常に興味深く、現在の状況(2001年頃)にもそのまま当てはまるのでご紹介します。
「もう10年もすると、東京には先祖からうけついだもので、子孫に語りつぐべきものがなにもなくなってしまうのではないか」
この記事からちょうど30年後の現在(2001年頃)、同じ池で同じ問題が起こり、同じ過程を踏んできた保存運動はどのような結末に向かっているのでしょうか?
表題の六本木随筆は「蝦蟇池」の項を新聞記事を元に書いているため、元ネタの記事の内容ばかりとなりましたが、随筆の著者村上元三は最後に、
「ここ十年ほどで、東京の人間は川や池が次第になくなってしまうのを、そう気にしないように、慣れさせられている。~中略~古いものが失われて行くのを、書きとめておく気持ちはありながら、抵抗をする気力もないのは、東京に住んでいる人間のあきらめのようなものであろうか。」

と自嘲気味に記しています。




★1972年の主な出来事

(政治・事件)

・ニクソン米大統領訪中、日中国交正常化


・札幌冬季オリンピック


・沖縄返還


・元日本兵横井さん帰還


・あさま山荘事件


・テルアビブ乱射事件


・作家川端康成自殺



(社会)

・ロマンポルノが映画界に新風


・山陽新幹線開業


・上野動物園パンダ初公開


・オセロゲーム発売


(話題の商品)
・カシオミニ(電卓)


・ソックタッチ


・消える魔球付き野球盤


・オロナインH軟膏


・仮面ライダーカード



(音楽)

・レコード大賞 ちあきなおみ-喝采


(ヒット曲)
・女のみち ぴんからトリオ


・せんせい 森昌子


・旅の宿 吉田拓郎

・どうにもとまらない 山本リンダ


・ひなげしの花 アグネス・チャン


・男の子女の子 郷ひろみ






東京名所図会のがま池

Blg化にあたっての追記


この記事を最初に書いたのは2001年がま池が二度目のマンション工事により縮小保存される工事が始まった頃で、その時のものをBlog化しているのは2013年初夏です。 
二度の保存運動を経て面積が2/3ほどとなった「がま池」は現在も残されています。 しかし2001年頃にデベロッパーである森ビルの子会社 「サンウッド」と「周辺住民、がま池を守る会」と「港区」の三者で締結された、 
マンションが建った後も要望があれば池を公開する。 
という三者協議会での締結事項がマンションの転売によりあっさりと破られ(※1)、現在池は非公開となってしまいました。これについてマンションの管理会社にインタビューしたところ「防犯上の理由」とのことでした。 これは明らかに締結事項に違反しているのではないでしょうか? 
がま池の解説板は池の北西側に港区教育委員会が設置したオフィシャルな解説板の他に、マンション敷地内北東部分に管理会社が設置した「がま池解説板」がありました。この解説板には池の公開を自ら明文化してあったのですが、近隣住民である仙華さんの情報によると、2013年5月現在、マンション側が設置した「がま池解説板」は撤去されてしまったようです。


港区教育委員会設置「がま池解説板」








解説板文面














マンション管理会社が設置した「がま池」解説板
2013年現在撤去されているそうです。











管理会社設置解説文章
公開を明文化しています。







また港区議会で「がま池保存の請願書」が提出され、この誓願には党派を超えた区議の署名がありました。その申請も長い間「継続審議」として塩漬けにされた後に、どこかに消えてしまいました。 

※1  
私もこの三者協議会に出席していましたが、その時点でマンションの転売が決められていたので、転売後も協議内容を反故にしない確約が得られていたと記憶しています。つまり転売されても池を保全、公開するという特記事項が遵守されるという内容であったと思いますが....。 








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