2013年5月16日木曜日

三の橋のバンビ


子鹿(参考画像)
1956(昭和31)年も押し詰まった12/7朝七時半頃、三の橋都電停留所前でピョンピョン跳ね回っている生後八ヶ月くらいの鹿の子供を通行人が見つけ、高輪署に届け出ました。

この様子は読売新聞12/7付夕刊で「麻布に迷子のバンビ」と題して取り上げられており、遺失物として届けられた子鹿が婦警さんとともに写真に収まっています。そして仮設の檻を作ったり、当時ミニ動物園でもあったのでしょうか、京浜デパートの動物飼育係を呼んで飼育方法を聞くなど高輪署が翻弄された様子が記されています。
そしてクリスマス近い師走の珍事件から、

トナカイなら師走の暮にジングルベルを聞いてのこのこ出かけて来たともうけとれるのだが....

と記事はシャレで結んでいます。

そして、翌12/8朝刊には早くも持ち主が引き取りに来たことが記され、麻布新堀町の工場主が庭で放し飼いしていたものが逃げ出した事がわかったと報じています。
昭和37年都電路線図
この記事の背景として考えられるのは、高度経済成長が始まり、町工場の経営者が庭で鹿を飼える環境を手に入れる事が出来るほどの好景気と、さらに1951(昭和26)年原語のまま公開されたディズニー映画「バンビ」がこの事件の前年1955(昭和30)年に、子供にもわかる日本語吹き替え版として再上映さてたことが大きく関係しているように思えます。 
麻布十番の理容エンドウ店主、遠藤幸雄著「麻布十番を湧かせた映画たち」 によるとこの「バンビ」は本国アメリカでは戦争中の1942年に公開されており、麻布での上映は昭和27年1/4~1/10まで、昭和33年2月(おそらく吹き替え版)の2回ようでともに麻布中央劇場で上映されているそうです。
この吹き替え版ディズニー映画の「バンビ」を見た娘から子鹿をねだられ、買い与えたお父さんという幸せそうな家庭の構図が想像されます。(あくまでも想像ですが)
しかし私には、子供じゃなくなった鹿がその後どのような運命をたどったのか、少々気になる所です。前回お伝えしたキツネ同様、動物園で飼育されていれば良いのですが、あわや......鹿肉?
(鹿だけにシカたがないというシャレは封印しておきます)
いいえ、この想像は夢が壊れてしまうのでやめておきましょう。

これまでも度々麻布の動物ネタをお届けしてきましたが、調べるたびに新しい記事が見つかり、この他、1882(明治15)年6/3付け読売新聞には、

麻布宮村町の民家で狸が住み着いたのですが、やさしい家主は大入道や小娘に化けて悪さをすることもない狸をそのまま住まわせていました。しかし、雌とつがいになり子供を産んで大所帯となって台所などを荒らし始めたので、しかたなく狸の家族を追い出してしまいました。すると畜生の浅ましさから恩義を忘れ、追い出されたことを恨んで毎晩小石を家の中に投げ入れることが続き、家主も困り果てた。

と伝えています。













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