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2015年9月6日日曜日

麻布大番町奇談

度々お伝えしてきた「兎園小説」は滝沢(曲亭)馬琴の呼びかけにより、当時の文人が毎月一回集って、見聞きした珍談・奇談・都市伝説などを披露し合った「兎園会」で語られた話をあつめた随筆集で、1825年成立の本集一二巻のほかに外集・別集・拾遺・余録計九巻があります。
今回はこの兎園小説拾遺から「麻布大番町奇談」をお届けします。



大岡雲峯屋敷

文政十一年の三月中ごろ、大岡雲峯(画家・旗本)の屋敷に永く勤める老女がいました。その老女は名を「やち」といい、年齢は七十歳あまりですが誰も名を呼ぶ者はなく、ただ「婆々」と呼んでいました。婆々は親族も皆絶えて、引き取り養う者もなかったので、主人も哀れみずっと家にいることを許しました。

そして三月中ごろに、婆々は何の病気もないのに気絶し、呼吸も止まってしまいます。

そして...一時(2時間)ほどで息を吹き返しますが、その後体が不自由となります。しかし、食欲だけは増大し以前の十倍も食べるようになります。三度の食事以外にも食べていない時が無いほどで、死に近い年齢の婆々がここまで健啖(食欲旺盛、大食い)なのを怪しいと思わないものはいませんでした。

婆々は手足こそ不自由ですが、毎夜面白げな歌を唄い、そして友達が来たといっては大声で独り言などをいいました。あるいはまた、はやしたて、拍子をとる音なども聞こえる事もありました。あるいは、深酒で酔った後のように熟睡し、日が登るまで起きないこともありました。

このような状況に家の主人(大岡雲峯)も不審がり松本良輔という医者に診てもらうと、すでに脈がなかったそうです。少しあるのですが、脈ではないとの診察で、医者も「奇妙な病です。」と不思議がり、薬もも出しようがなく、老衰からの所行で脈が通じておらず、

「養生する以外に方法がなく時々様子を見に往診に来ます。」

と言うしかありませんでした。

そして月日が流れると、婆々の姿は肉がそげ落ちて、後には骨が露出して穴が開き、その穴の中から毛の生えたモノが見えるということで、介護の者が驚いて騒ぎだす事になりました。

文政十二(1829)年の春を迎える頃には、まだ婆々に息があるので湯あみをさせ、敷物を毎日交換するなど看病させると、婆々は喜んで感謝を繰りかえしました。
また、滋養の高い食事の世話をするため、主人は少女の介護人を婆々につけてやりました。
やがて再び冬になり婆々の着物を脱がせてみると、着物に狸のような毛が多数付いていることに気がつき、その臭気は鼻を覆わなければいられないほどで、人々はさらに怪しみます。


その後、狸が婆々の枕元を徘徊し、婆々の布団から尻尾を出すこともありました。このようなことが続いたので介護の少女はいたく恐れていましたが、主人の説得により次第に慣れて怖がらなくなってゆきました。そして毎夜婆々が唄う歌を聞き覚え、

「今夜は何を唄うのかしら?」

っと、笑顔で婆々の唄を待つようになります。

そして後には、婆々の寝ている部屋には多くの狸が集まり、鼓・笛太鼓・三味線などで囃子たてる音が聞こえ、婆々が声高に唄う声も聞こえてきました。また囃子に合わせて踊る足音が聞こえることもありました。

そしてある朝、婆々の枕元に柿が多く積み上げられていることもあり、その訳を婆々に尋ねると、

「これは昨夜の客が、私を大事にしてくれるお礼にこの家に持ってきたものなので、どうぞ召し上がって下さい。」

といわれます。しかし皆は怪しんで、誰も食べようとしませんでしたが、中を割ってみると普通の柿のようだったので、介護の少女にすべて与えました。

またある日には、切り餅がたくさん婆々の枕元に置いてあることもあり、これも狸からの贈り物に違いなく、獣(けもの)でも主人の情にに感謝しているに違いないと人々は噂しました。

ある夕べには火の玉が「手まり」のように婆々の枕元を跳びまわり、介護の少女が恐れながら見たところ、赤い光を発するまりで、手に取ることは出来ずにたちまち消え失せたということでした。翌朝婆々にそれを問うてみると、

「昨夜は女の客があり、まりをついた」

といいました。

別の夜には火の玉がはねるように上下していたので、婆々に問うと、羽根突きをしたとのことでした。またある日、歌を詠んだからと、紙筆を所望して書きつけました。

朝顔の 朝は色よく 咲きぬれど
          夕べは尽くる ものとこそしれ

婆々は読み書きが出来ませんし、唄など詠むような人ではないので、これも狸の仕業にちがいないと噂しました。さらに別の日、絵を描いてかいごの少女に与えたのを見てみると、蝙蝠に旭日を描いて、賛が添えられていました。

日にも身を
      ひそめつつしむ 蝙蝠(かわほり)の
                          よをつつがなく とびかよふなり

これもまた、いままで婆々は絵を描くことはなかったので、古狸の仕業に違いないと人々は言い合いました。

このように怪異を起こす婆々はさらにますますの大食いをして、毎食、飯を八九碗、その間には芳野団子五六本、その後まもなく金つば焼餅二三十個など、本当に日々大食いでしたが、それにより病気になる気配はまるでありませんでした。


ある晩、婆々の寝間で光明が照り輝き、紫の雲が起こります。三尊の阿弥陀仏が現れて、婆々の手を引きながら行くと見え、介護の小女は驚き怖れ、慌てて主人のところへかけます。

しかし、主人の雲峯と妻が駆けつけて見れば、婆々は熟睡しており、ほかに何者の姿もありませんでした。そして、文政十二年十一月二日の朝、雲峯の妻は夫に告げます。

「昨夜、年老いた狸が婆々の寝間から出て、座敷をあちこち歩き回り、戸の隙間から外へ出て行きました」




そこで婆々のところへ行ってみると、すでに婆々は息が絶えていました。これは、頓死した婆々の遺骸に、老狸がずっと憑いていたのでしょう。これは雲峯自身が話したのを、そのまま書き記したものです。




....ここでこの話は終わりますが、このあとに後記のような文が続いているので、こちらは原文のまま、お伝え致します。

    原文この下に、彼小女(介護の少女)の夢に古狸の見えて、金牌を与へし抔(杯)いふことあれど、そはうけられぬ事なれば、ここには省きたり。ここにしるすごとくにはあらねど、此狸の怪ありし事は、そら事ならずとある人いひけり。原文のくだくだしきを謄写の折、筆に任して文を易たる所あり。さればその事は一つももらさで、元のままにものせしなり。奇を好む者に為には、是も話柄の一つなるべし。



庚寅秋九月燈下借謄了。

※[庚寅とは文政13(1830)年の事]




◆追記


大番組屋敷が集っていた表大番町・裏大番町をあわせた「四谷大番町」が制定されます。

さらに、明治11(1878)年には千駄ヶ谷大番町を四谷区に編入し、同24年(1891年)四谷大番町に吸収され、そして昭和18(1943)年、四谷大番町と四谷右京町を併せ、一文字づつとって「大京町」が成立することになります。

この「兎園小説」を編集した滝沢馬琴は広義においてこの大番町を麻布と捉えていたのかもしれませんが、一方では兎園会で発表の際に、その発言者が地名を間違えていたのかもしれません。いづれにせよ、この兎園小説が書かれた文政期に、この地域が麻布であったという確証はとれませんでした。

















★関連項目


五嶋家門前の要石




寒山拾得の石像




東町の鷹石









2013年5月21日火曜日

麻布の野生動物-その3

前回は目撃情報や実際のインタビューから得た情報により麻布を含めた港区域にはハクビシンなどの生息が確実視出来るようになった事をお伝えしました。
しかし、それは港区域固有の現象なのか、また他所も同様なのか理解できなかったので、東京の野生動物の著書などを書かれている宮本拓海さんのサイト「東京タヌキ探検隊」にお邪魔させて頂き、またメールで数々のご教示を頂きました。

そのなかで2009年当時、宮本氏の承諾を得て当サイトに掲載させて頂こうと考えていた文面がこちらです。

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(以下宮本氏からのメール)

白金・白金台のタヌキの生息については
私が現在特に注目していることのひとつで、
来年1月に公開予定の報告書では重要なトピックになる予定です。
過去の生息分布図をご覧になるとおわかりのように、
港区にぽつんと孤立した生息があります。
これは偶発的な目撃と考えていたのですが、
最近になって、どうも定住集団がいるのではないか
と推理するようになりました。
集団を維持するには確実に繁殖できる場所が必要です。
その場所は自然教育園と考えられます。
自然教育園ならば複数の家族が定住することは可能で、
そこから外部へ旅立つ若い個体が必ずいるはずです。
この近辺でのタヌキの目撃情報は、
2006年~2008年に3件あります。

2件は南麻布、1件は白金台です。
(白金台の情報は今年になって得られたもので、
今年1月の報告書には反映されていません。)
いずれも自然教育園からは離れていますが、
自然環境から言って自然教育園に生息していないはずがありません。
白金・白金台というと「セレブ」なイメージが強いのですが、
タヌキの生息という観点から見ると
自然教育園、寺、学校、お屋敷(広い庭がある)、庭園など
生活しやすい環境がそろっているように思えます。
残念ながら麻布方面は緑地が少ないので
タヌキには暮らしにくそうです。
(寺が集中している地域を除く。)
書籍「タヌキたちのびっくり東京生活」では、23区のタヌキの分布を
7つのグループに分けています(ホームページには未掲載)。
これらには白金・白金台の集団は含まれていません。
しかし、どうやら定住が確実と思われるため
次の(来年の)報告書にはこの集団を新たなグループとして
紹介することになるでしょう。
名前は「白金グループ」にするつもりです。
セレブなイメージを狙ったわけではなく、
「白金長者」という歴史的な由来のある地名ですし、
最大の拠点が自然教育園=旧白金御料地、白金長者屋敷跡地である
といった理由からです。
この白金グループのタヌキは全体で多くても30頭程度の
小さな集団と思われます。
ぎりぎりで集団を維持しているのではと推測されます。
またこのグループは周囲のタヌキ生息地から孤立していることが
気にかかります。
以上、ご参考になりましたでしょうか。
白金は麻布の領域内ではありませんが、
南麻布では実際にタヌキが目撃されています。
麻布一帯でも目撃できる可能性はあります。

(ここまで)

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このメールによると、麻布でのハクビシン目撃例も多数あり、また南麻布ではタヌキの目撃例もあることなどから当時の宮本氏は麻布域でのタヌキの生息の可能性も否定していません。このあと宮本氏は「白金グループ」を正式に追加し、港区内唯一のタヌキの生息を確定しました。
港区内野生動物生息状況
しかし、このあたりまで調べた時点で、急遽サイトに載せることについて、ためらいが生じました。それは、インタビューの中で場所は非公開という方や、オフレコという方もいらっしゃり、また何よりも恐らく港区南部域の野生動物の中心となっているであろう自然教育園の生態が乱される恐れがあることが懸念され、これま調べた内容をすべて封印してしまいました。

そして四年が過ぎた今年3月、恵比寿駅前でタヌキが捕獲され、その様子がテレビのニュース番組で放送されました。やはりタヌキが生息していたのかと再び野生動物の情報を検索すると自然教育園では、私が学芸員にインタビューし否定的な見解をお聞きしていた2009年頃、園内に仕掛けた自動シャッター定点カメラにはハクビシンとタヌキの姿が写されていました。さらに昨年2012年夏には二匹の子タヌキが生れ、最低でも四匹が園内で確認されたこと、そして池に落ちて身動きがとれなくなっている子狸を救出したことなどが園のスタッフブログに写真付きで掲載されていました。 
このように自然教育園内の情報が発表されたことにより、私が危惧していた場所の判明という根拠を失ったため、四年前の情報を公開することとしました。
さらに最新情報をみなと保健所から再び受領してみると、四年前にもらった情報より目撃、通報は増えていました。
その中でも特筆すべきは麻布の東町小学校前で今年になってからハクビシンが目撃されていることで、四年前の宮村町周辺と並んで麻布中央部での生息が想像されるようになりました。私見ですが、この生息には有栖川公園や、ほぼ有栖川公園と同程度の面積を有する元麻布一丁目の寺院群(麻布山善福寺・興国山賢崇寺・一松山大乗院長伝寺・松本山徳正寺)敷地が大きく関与しているように思えてなりません。


また、この4年間での状況の変化を宮本氏に教授頂きました。
宮本氏は港区域の最近の傾向として、

・タヌキは減少傾向
・ハクビシンは爆発的とはならないが増加傾向

であるとの見解を述べられています。
また、保健所への通報例もやや増加しているようで、中には目撃をまた聞きしての通報もあるようです。
そして捕獲の依頼をしている通報も増加しており、区では野生動物なので直接駆除は出来ないが、緊急措置として屋内に住み着かれてしまった場合などは駆除業者の紹介などをしているようです。

ハクビシンにおいてはほぼ港区全域での目撃情報があるため、複数のグループの存在が確実視されています。
一例として、

・浜離宮グループ
・大門・芝公園グループ
・愛宕山グループ
・麻布我善坊・狸穴グループ
・麻布中央部(宮村町竹谷町、本村町[元麻布・南麻布]辺)グループ
・西麻布グループ
・高輪グループ
・白金グループ
・赤坂、青山墓地グループ


などがあると想像(グループはDEEP AZABUの個人的な想像で、ハクビシンの行動半径からするともう少し集約されるものと思います。)され、それぞれのグループ間をある程度交流しているものと思われます。
動物はグループ内の近親婚を繰り返すとやがて絶滅の方向に向うそうです。これを避けるには他グループとの交流が必要で、そのためにはグループ間を行き来できるコリドー(回廊)が必要なようで、ハクビシンの場合は電線、線路、河川敷などがコリドーの役目を果たしているようです。
しかしどうしても大通り(外苑西・東通り、明治通りなど)を渡らなければならない場合もあり、その際に多くの目撃情報が発生するものと思われます。

前出、今年3月にJR恵比寿駅付近で野生のタヌキが捕獲されニュースとなったことをご記憶の方も多でしょうが、残念ながら現在港区域でタヌキの生息が確認されているのは自然教育園のみのようです。
ただし、過去には赤坂御所、皇居のタヌキが国会議事堂周辺や赤坂付近で目撃されているようです。そして、宮本氏によると他グループとの交流が希薄となっていると思われる自然教育園のタヌキはやがて減少、絶滅の方向ではないかとの危惧をお持ちのようです。

また保健所では、
ハクビシンなどは、自分から積極的に人間を襲うことはないので、建物等に侵入されない対策など共存の可能性もレクチャーしているようです。
しかし、屋根裏などの建物内に住み着かれてしまった場合、衛生面などから健康被害が出る場合もあるので、駆除業者の斡旋なども行うようですが、その際の経費はすべて依頼人に請求され現在は補助なども適用されないようです。

サイトの管理者である宮本氏は、

都市住民と野生動物とのつき合い方を考えてもらいたく サイトを立ち上げ自身のスタンスを、

実害があれば駆除もやむなし、しかし大半では実害はないので放置

としています。

このあたりの都市部における人間と野生動物の共存についての意見があくまでも私見としながらも杉並タヌキおつきあいガイドライン(私案)として「東京タヌキ探検隊」サイトでに掲載されていますので、是非ご一読をお勧め致します。そして、私たちも野生動物とどう共存していくのかを再度、地域やコミュニティなどで考えてみる必要があると思います。 
またハクビシンとタヌキの特徴を比較したイラストを「東京タヌキ探検隊」のご厚意により転載させて頂きましたので、ご覧いただけますと幸いです。

そして野生動物と思われるものを目撃した場合は、前出「東京タヌキ探検隊」で目撃情報を募集しているようですのでご協力をお願い致します。

 「東京タヌキ探検隊-目撃情報連絡方法 」

また港区内で、住居等に野生動物に侵入されてしまった場合などは、

みなと保健所

に相談することをお勧め致します。

最後にこの項を書くにあたって四年前も今回も多大な情報提供、またご教示を頂いた宮本拓海氏とそのサイト「東京タヌキ探検隊」そして氏の著書、「タヌキたちのびっくり東京生活 都市と野生動物の新しい共存」に多大な謝辞を述べさせて頂きます。宮本さん、ご協力誠にありがとうございました。














タヌキの特徴(成獣、冬毛) 
画像提供:東京タヌキ探検隊!






タヌキの特徴(幼獣、夏毛) 
画像提供:東京タヌキ探検隊!










ハクビシンの特徴
画像提供:東京タヌキ探検隊!



その他アライグマやアナグマの特徴なども掲載された東京タヌキ探検隊!はこちらからどうぞ











 
 
 
 
 
 
 
 
 
 























 
 
 
 
 
 





深夜の東京都心にハクビシン現る!















2013年5月20日月曜日

麻布の野生動物-その2

参考画像 : ハクビシン
(夢見ケ崎動物公園)
前回高輪支所のハクビシン捕獲は大きな驚きでしたとお伝えしましたが、実際にハクビシンが捕獲されたのは高輪支所地下駐車場で2005年7月とのことでした。
当時付近にはタヌキの目撃情報が数件あったそうで、早速私もインタビューに歩きましたが私が聞き込みを開始したのは捕獲から4年後の2009年のことで
当時付近にはタヌキの目撃情報が数件あったそうで、早速私もインタビューに歩きましたが私が聞き込みを開始したのは捕獲から4年後の2009年のことで高輪支所、隣接する高松中学ともにその頃の様子を知っている方はいませんでした。 
そしてネットでの情報を検索してみると高輪から白金台あたりにハクビシンの目撃情報が集中しており、その中心は「自然教育園」と思われました。
そこで自然教育園に足を運び学芸員にインタビューしてみましたが、園内での目撃例や生息を確認できる情報は何もないとのお答えで、園内でもため糞などの現象を確認することは出来ませんでした。しかしこの頃の園内には定点観測カメラが仕掛けられていた事を知ったのはつい最近です。
さらに自然教育園付近の住民数名にインタビューをしてみると、

「自身の体験ではなないが深夜目黒通りを渡っているハクビシンと思われる動物を目撃した友人がいる。」

などの情報を頂きました。
そして、白金台からはやや離れた高輪のさるお寺の住職に話を伺うと驚きのお答えが返ってきました。
「ハクビシンは数年前から複数頭が境内に住み着いており、業者に依頼して駆除してもらうこととした。そして業者が仕掛けた罠に数頭が捕まり処分されることとなったが前夜、急にかわいそうになり檻から逃がした。それらのハクビシンは現在も生息している。また、この付近にはこの家族の他に隣接する場所にも別の家族が存在するようだ。」

麻布宮村町寺院の格子天井
また今世紀に入ってから、やはり同じ港区に隣接するホテル・ニューオータニの入り口植え込み、
また港区内でも神谷町、愛宕山、芝公園、大門などで目撃が相次ぎ、やがて2008年には汐留日本テレビタワーにハクビシンが侵入しテレビカメラに納められました。そしてテレビニュースで狸坂上や麻布十番でのハクビシン出現が報じられた2009年11月には、なんと麻布宮村町(元麻布二丁目)のお寺の庫裏に住み着いたハクビシンが捕獲されます。
(改装したばかりの格子天井を踏み抜いて落ちてきたそうで、私も見学させて頂くと、天井は尿で染みとなっていました。)

さらに広尾、西麻布、南麻布などでもハクビシンなどの目撃があり、麻布域のハクビシン生息は確実なものとして姿を現しました。
そして、生息情報を確実な物にするため、みなと保健所に問い合わせ、近年通報された野生動物情報を書面で頂きました。それによると目撃情報は白金台、高輪、赤坂、六本木、南麻布、虎ノ門など港区んもほぼ全域にわたっており、どこにいてもおかしくない状況であることがわかりました。また飯倉交差点榎坂付近で和菓子店を営む方は、我善坊町方面から狸穴町方面へと外苑東通りを渡るハクビシンを二度も目撃し、その異様に胴体としっぽが長い様子をイラストで残していました。
港区内野生動物生息状況
この麻布我善坊町付近は古い民家が多く、また再開発による立ち退きで空き家が増え始めており、野生動物ハクビシンにとっては格好の住処となったことが想像されます。しかし、この地域は商店や飲食店はほとんどありませんので、食物となる生ゴミがふんだんにある外苑東通りに出没しているものと想像されます。

右の地図は目撃情報を元に港区域での生息状況のおおよその位置をプロットした地図ですが、特にハクビシンについては区内のかなり広範囲に生息しているのがおわかりいただけるかと思います。しかし、一方では目撃情報や保健所への通報がすべて正しいという確証は無く、何割かは差し引いて考えるべきかとも思われます。