2012年11月11日日曜日

消えてなくなった男

今回は「半日閑話」からの不思議な話をご紹介します。

北条坂下部の鉄砲坂
江戸時代、麻布の井上志摩守(幕府鉄砲方井上左太夫?)の家来に、長く仲間(ちゅうげん)奉公をしている男がありました。

いつもよく働く男なので主人も目をかけていましたが、その男が突然「暇を頂きたい」と申し出たので、主人はどこへ行くのかと訊ねると、男は「日本橋にいきます」と言ったのみで詳しいことを語りませんでした。

怪しんだ主人は男が奉公を終えた日、そっと他の仲間に後を尾行させました。そして、しばらくすると戻った仲間は、日本橋の橋の上まで尾行しましたが、男は橋の上で急にいなくなってしまったといいます。そして、それっきり男はどこにも姿を現さなかったそうです。主人は不思議なこともあるものだと思ったが、そのうちに忘れてしまいました.......。

それから三年目のある日、橋の上から掻き消えた男から主人宛に手紙が届いきました。
それによると、

「つつがなく暮らしているので安心してください。しかし帰ることは出来ません。」

、と書いてありました。

この話を聞いた人々、は男が天狗隠しにでもあったのだろうと噂しました。
---これは文化四、五年頃(1807、8年)にあった話だとあります。

この鉄砲方は鉄砲御用人、鉄砲御側衆ともいわれ鉄砲の研究、整備および修理を行った幕府の役職で、井上家は当所四家(※後二家)であったうちの一家で代々の世襲とされました。配下には鉄砲方与力、鉄砲方同心、鉄砲磨同心などがありました。
またこの井上家は三代将軍家光の頃、麻布でオランダ人による臼砲の試射があった際、家光の名代で前老中の堀田加賀守正盛、老中阿部對馬守重次・牧野内匠守信成、目付兼松彌五衛門正直、幕閣らとともに当時の井上家の当主・外記正継も観戦していました。

この井上家の屋敷、配下の与力同心屋敷、鉄砲の練習場があったためこの井上家北側に隣接する北条坂下部の坂は「鉄砲坂」と呼ばれる事となります。



 ※鉄砲坂

笄町と広尾町の境を西へ下る坂。北条坂の下方にあたり、北条坂の一部という見方もある。江戸時代、坂下南側は井上左太夫を組頭とする鉄砲組(御先手組)の屋敷があり、鉄砲の練習場などがあったことに因む坂名。(東京35区地名辞典)








井上家屋敷





現在




   ★関連項目

     麻布の石火矢試射

     Wikipedia-鉄砲方