2012年11月30日金曜日

古川端島津屋敷の犬追物(いぬおうもの)




犬追物(Wikipediaより引用)

犬追物(Wikipediaより引用)






古川橋から天現寺方面の古川端辺の白金側は、明治初期にはまだ見渡す限りの田圃であったといい、川端から大久保彦左衛門の墓がある立行寺 までは、あぜ道を通って行ったといいます。

その頃、薬園坂の辺りに元薩摩藩の島津忠義本村町別邸があり、その屋敷で伝統的な「犬追物(いぬおうもの)」という催しが行われたそうです。
これは野良犬を入り口で販売し、買われた犬は一旦溜まりに繋がれる。そして一匹づつ引き出されて、円陣の真ん中に引き出され「犬を放ち申し候!」と叫び犬を放つと、犬が逃げ出そうと駆け回るところを矢先に補具を付け犬が死なない様にして何度も、射すくめるという遊びとのことです。(今から考えると非常に残酷な遊びですが、野犬対策、弓道の訓練ともしかしたら遠い昔の「生類哀れみの令」が解禁された時の恨みもあるのであろうか?いづれにせよ犬にとっては、いい迷惑ですね。)しかし射られた矢はめったに当たったのを見た事がないと この話の主は結んでいます。

また、古川端のあぜ道の近くに養豚をしていた農家がありましたが、辺りが市街地化すると共に、渋谷~目黒とだんだんと郊外に移転して行ったそうです。そして明治になると古川橋の辺には「木賃宿」が出来、夜鷹(街娼)なども現われます。そして、田中商会の犬小屋が出来、南座が開場になって田圃のなかに一軒また一軒と家が建ち始め、一気に都市化が進んで行ったそうで、やがて田圃は無くなり青田が黒田になったと近所の人々は軽口をたたいたといわれています。

1881(明治14)年5月9日岩倉具視、西郷隆盛、河村海軍卿を供奉として明治天皇がこの島津忠義本村町別邸(元パピリオ化粧品敷地)に臨幸し、犬追い物と相撲を天覧したとの記録が残されています。そして、これが最後の犬追い物の開催となったとwikipediaに記載があります。




1881年(明治14年)5月9日天皇陛下本村町の公爵、島津忠義邸に行幸。午前7時御出門。別邸にて古式の犬追物、相撲を天覧。本邸にてつつじ観覧後、射術を天覧。御供奉は岩倉右大臣、西郷参議、河村海軍卿。








島津忠義本村町別邸があった
麻布本村町薬園坂西側



























 

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