2012年10月15日月曜日

善人ばかりの「井戸の茶碗」

今回も落語のお噺で、井戸の茶碗をお伝えします。

麻布茗荷谷(麻布谷町)の裏長屋に住む正直者の屑屋清兵衛が、とある裏長屋の浪人・千代田卜斎(ぼくさい)から買った仏像を細川家の高木作左衛門という若侍に売り、高木が仏像を磨いていると....落ちは「いや、磨くのはよそう、また小判が出るといけない」。

善人しか登場しない人情話です。清兵衛の住まいが麻布谷町で細川家の屋敷が高輪(現在の高松中学高松中学あたり)、清兵衛が仲間と休憩するのが清正公覚林寺の境内という設定で、裏長屋の浪人千代田卜斎が住んでいたのは芝西応寺の裏長屋。この噺の原型は江戸期、栗原東随舎の随筆「思出草子」の「茶碗屋敷」に細川家足軽の話として掲載されています。

内容はこの噺とほぼ同じですが、細川公に献上された茶碗は殿中で、事の由来を聞きつけた田沼意次に所望され貸し出されました。しかし田沼はなかなか茶碗を返そうとせず、困り果てた細川家では、ある家老が一計を案じ、その茶碗と引き換えに神田橋にある広大な土地を手に入れることとなりました。そして、その屋敷は茶碗と交換に得た屋敷から「茶碗屋敷」と呼ばれたといわれています。

また出典は講談「細川茶碗屋敷の由来」を元にしたものとも言われているようですが、茶碗は実在のもので「細川井戸」と呼ばれ天下三井戸に挙げられるようです。この茶碗は「細川井戸」と呼ばれ、細川三斎(忠興)から伊達家、松平不昧、畠山一清の所有者の手えを経て現在は 畠山記念館が所有しています。噺の時代設定は四代将軍綱吉の頃とされていますので細川家の当主は忠興ではなく綱利で、すでに茶碗は他家に渡っていたと思われます。




○井戸茶碗

  井戸茶碗とは当時珍重された高麗茶碗の一種で「井戸」の名の由来は諸説あるようですが、
  単純に「井戸のように深い茶碗」の意とする説が有力とのことです。

○天下三井戸

  喜左衛門井戸・加賀井戸・細川井戸






DEEP AZBU 落語
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