2019年4月8日月曜日

⑩国立公衆衛生院(ゆかしの杜・港区郷土歴史館)

国立公衆衛生院(ゆかしの杜・港区郷土歴史館)
港区白金台4丁目6-2
現在港区の総合施設として活用されている「ゆかしの杜・港区郷土歴史館」は、1938(昭和13)年ロックフェラー財団の総額350万ドル以上の寄与により設立し1940(昭和15)年に内田祥三により設計された「国立公衆衛生院」の建物を使用しています。

ちなみに隣接する東京大学医科学研究所も1937(昭和12)年内田祥三の設計で調和が保たれています。
この方の設計をどこかで観たような気がしていましたが、本郷の東京大学内の設計は本館・安田講堂を初めほとんどが内田祥三の設計となっているそうです。
 内田祥三はこれら複数の建築を手掛けた後、1943(昭和18)年には東京帝国大学第14代総長に就任します。(wikipediaを参照)
また1927(昭和2)年に麻布区麻布笄町(堀田坂付近:港区西麻布4-7-6)に自ら設計した自邸に住んでいましたが、内田祥三は白金台の国立衛生院が見通せる自宅からの眺めを気に入っていたようです。しかし、戦後10年間ほどはGHQに接収され、ソビエト連邦大使館として使われていたそうです。
この国立公衆衛生院はロックフェラー財団が出資したことから戦略爆撃目標から外されていたようですが、戦後同じくロックフェラー財団の支援により設立されたのが国際文化会館(六本木五丁目)です。
再び話を「ゆかしの杜・港区郷土歴史館」に戻すと、、、、
このに来る前に立ち寄った「近代医科学記念館」の見所は外壁円柱の彫刻や外灯、そして内装のオリジナル部分、さらに硝子窓を注意してみるように促されました。
さすがに外壁に設置された窓は総てサッシに変更されていたのですが、屋内の廊下と室内を仕切るドアの上に設置された硝子窓には新しくはめ込まれたものと当時のものと思われる少し汚れた硝子が混在していました。
そして講堂のイスは今回の改装にともない張り替えられていますがその記事は「緞子(どんす)」であることもお伝え頂き、豪華な講堂内部も堪能させて頂きました。
また郷土歴史館学芸員によると、正面入り口にある長方形の池は深さが1.7mあったとお教え頂きました。
◎INAX REPORT 172号 生き続ける建築6内田祥三
https://www.biz-lixil.com/…/inaxrep…/IR172/INAX172_04_16.pdf
◎ぼくの近代建築コレクション
内田祥三邸/西麻布4丁目
※内田祥三邸邸のカラー画像が掲載されています。
https://blog.goo.ne.jp/r…/e/04db2055d4f1220546e34c2b2490f9be
◎wikipedia-東京大学医科学研究所
https://ja.wikipedia.org/…/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%A…