2012年11月17日土曜日

貧女の純真

江戸の頃、麻布久保町に貧しい大工が住んでいました。しかし下請け仕事すらありつけず、このところ収入が途絶えてしまったそうです。そしてついに米を買うお金もなくなり、亭主は仕方なく女房に大工の棟梁の所へ金策に行かせました。

さっそく女房が棟梁を訪ねると、棟梁も同様に最近仕事が廻ってこなかったので懐具合が悪いようです。しかし手下の大工の女房を素手で返すのも気が引けて、箪笥から縞ちりめんの着物を出して、「これを質屋に持って行って金を借りろ」と持たせましたた。

女房は感謝しながら帰宅し、亭主に相談してから質屋に持ち込みました。すると質屋は金3分(1両の3/4)を貸してくれたので、夫婦はその金で当座の生活をしのぐ事が出来たそうです。しかし、その頃から心労のためか女房が体調を崩して寝込んでしまい、薬代まで工面しなければならなくなり、貧しさが以前にも増してひどくなってしまいました。病床の女房は何度も、棟梁から借りた着物を気にかけて亭主にいいました。「お前さん、いつになったらあの着物が質屋から請け出せるかねえ」しかし、あても無い亭主は、
「心配するな。そのうちどうにかなるさ。それよりお前は養生しなけりゃいけないよ」、と言って女房を慰めるしかなかったそうです。しかし、そんな風にお互い労わり合って数日すると、女房は息を引き取ってしまいました。その後、亭主は形ばかりの葬式をすませると、悲しみに暮れていたそうです。

そしてある夜更け、

「着物を請け出しに来ました」

と質屋の戸をたたく者があったそうです。しかし奉公人も寝てしまい応対できないので、

「今夜はもう遅いから、明日に願います」

と返事すると、そのまま帰ってしまったそうです。しかし次の晩もやってきてまた同じ事が繰り返されました。そしてまた次の晩も.......。

その声から大工の女房だと気が着いた質屋の番頭は、たまりかねて裏長屋の大工を訪ね、

「あんたのおかみさんには悪いことをしたが、何であんな夜更けに来てくれるんですかね?」

と亭主の大工に言いました。すると亭主は、

「毎晩って、いつのことですか?」

とたずね、番頭が昨日で3日続きだと答えると、亭主はからかわれてると思って、

「じょうだんじゃネエ!女房はこういう姿になっちまったんだ」

と女房の位牌を番頭に見せました。すると番頭はあわてて帰り、店の主人に始終を報告した。すると主人は顔を曇らせて考え込み思案の結果、今度女房が着物を取りに着たら、返すよう番頭に命じました。

その晩、夜も更けて番頭が耳をそばだてていると、やがてあの女房の声で、

「もしもし、戸をお開け下さい。着物を請けだしに参りました。」

今までは知らなかったから平気で応対していた番頭でしたが、この世の者でないことがわかった今は、恐ろしくて仕方なかったそうです。しかし、主人の言い付けなので恐る恐る戸を少し開け、着物を差し出すと嬉しそうな声で、

「ありがとうございます。これはお代です」

と小さな包みを置いて立ち去りました。
そして、番頭は恐ろしさのあまり、寝所に戻ってそのまま布団をかぶって寝てしまいました。


翌朝主人と共にその包みを改めてみると中身は金ではなく、今坂餅という卵型の餅が五切れ入っていました。早速この事を大工に知らせると大工も今朝寺から使いのものが来て、女房の墓に着物がかけてあるというので、行ってみるとあの「縞ちりめん」だったと話しました。その後質屋はこの着物を諦める事にし、大工の棟梁は着物を掛番に仕立て直して寺に寄進して女房の霊を慰めたといいます。


桜田久保町寄進の狛犬
麻布櫻田神社
この話は九州平戸の大名、松浦静山が当時見聞した事を書いた「甲子夜話」の3編にあります。
しかしこの話、一歩間違えば「夫婦詐欺」みたいな気がするんですが............。


















   麻布久保町という町名は存在しませんが、現在も櫻田神社の氏子町会
    である芝桜田久保町(現在の港区西新橋1丁目あたり)のことであること
     から「麻布」となっているものと思われます。





JRAビルに展示された櫻田神社御輿(港区西新橋1丁目1-19)



 











◆関連項目-櫻田神社
       http://deepazabu.blogspot.jp/2013/04/blog-post_13.html