2012年11月25日日曜日

麻布銀行の絵画



現在の十番商店街中央交差点脇あたりで、昭和の初期頃まであった「麻布銀行」の応接間には、洋画家長野華邦のが描いたアルプス山景の絵画が飾られていたそうです。

昭和初期の十番商店街
(十番わがふるさと)
信州で祖父が城主であった長野華邦はアメリカに渡り絵画学校を皿洗い、窓拭きなどもしながら苦学して卒業し、メキシコに10年住んだ後に帰国した。しかし本場ヨ-ロッパでなくアメリカの画風であったために当時は人気が無く絵もまったく売れないために、その生活は極貧を極めたといいます。
妻も大審院判事の娘でしたが、夫婦そろって「大酒飲み」で、たまに絵が売れても酒代と消えてしまったそうです。家は家賃が払えないために大家に大半の畳を持って行かれ、残ったのは大家がお情けで置いていった3畳だけ。たまに友人が遊びにくると新聞紙をひいて座らせたといいます。
そして性格は温和で、酒を飲まないと人と口も聞けないほど純粋な人物であったそうです。

しかし、その純粋さが災いして酒の席で良からぬ連中に騙され、手形詐欺の一味として手形偽造行使の罪名で裁判所に告訴されてしまいました。そして裁判となって法廷に立たされた華邦は気の弱さから一言もしゃべれず、そのあまりに気の弱い様子から裁判長の渡辺照之助は、華邦が一味ではないと見抜いきました。そして華邦の弁護人から、

「被告は気が弱く申し開きが出来ないので、被告の心中を絵画にして披見したい。」

という裁判史上前代未聞の申し出がなされると即座に許可しました。

次回の公判で華邦が提出した絵は何と!「達磨が切な糞を垂れている」油絵でした。これは華邦が逃げ場もないほどに反省していると言う心持を表したもので、これには裁判長も笑ってしまったといいます。

その後の判決には刑に執行猶予が付き、華邦は受牢を免れました。そしてこの一件は「油絵裁判」として永く裁判所でも評判になったといいます。

昭和初期の麻布銀行

そして、その後も華邦夫妻は懲りずに大酒のみで在りつづけ、また貧乏とも縁が切れなかったといわれています。


※ 仙華さんのご指摘によりこの建物は現在も静屋家具センターとして使用されていることが、
   わかりました。仙華さん、ありがとうございます(^_^)v





















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