2012年11月21日水曜日

さよなら麻布の都電


昭和30年代中盤ころ、まだ乳児だった私はよく寝ぐずりをしたそうです。そんな時に私の親は宮村町にあった自宅から、わざわざ一の橋停留所附近まで都電を見せに行ったそうです。
都電6000形(安藤幸洋氏撮影)
不思議に都電を見ると、すやすやと眠ってしまう癖のついた私を、その度におんぶして一ノ橋まで連れて行ったといいます。しかし私にこの記憶はもちろんありません。そして私の記憶にはじめて登場する「都電」は、決して愉快なものではありませんでした。

私が幼稚園に通っていた昭和37~38年頃のある夏の日、近所のおじさんが自家用車で私と父を「はぜ釣り」に連れ出してくれました。目的地はその頃はぜ釣りの定番の場所であった東雲です。

車は宮村町を出発してしばらく走り、仙台坂を下って二ノ橋から一ノ橋に向かう大通りに出ました。そこで忘れ物をしたことに気がついた運転手の近所のおじさんは、来た道を戻るため大通りの都電軌道をまたいで反対車線にでようとしました(当時ももちろんUターン禁止だったと思いますが(^^;)。車が都電軌道にさしかかった瞬間、けたたましい警笛にはっとすると、目の前に都電が迫っていました。都電は急ブレーキで2メートルほど手前で停車し、事なきを得ましたが、
都電運転手の、

バカヤロー!あぶないじゃないか!こっちは乗客を預かってんだ!

っという怒声に、近所のおじさん運転手は、

バカヤロー!こっちには子供が乗ってるんだ!

っと切り返し、子供心にもいたたまれなくなった記憶が残っています。

当時、古川橋~一ノ橋間には、

  • 4系統(五反田駅前~銀座七丁目)一ノ橋経由
  • 5系統(目黒駅前~永代橋)一ノ橋経由
  • 8系統(中目黒~築地)一ノ橋経由
  • 34系統(渋谷駅前~金杉橋)一ノ橋経由

が走っていましたが、この一ノ橋通過系統の他にも麻布には、

34系統を走っていた物と同じ形の
都電6000形(愛称一球さん)
(安藤幸洋氏撮影)
  • 6系統(渋谷~新橋)龍土町・六本木経由
  • 7系統(品川駅前~四谷3丁目)天現寺・日赤病院下経由
  • 33系統(四谷3丁目―浜松町1丁目)六本木・飯倉経由

などが通っておりまた、乗り継ぎ停留所として、


●赤羽橋
  • 3系統(品川駅前~飯田橋)

●芝園橋
  • 2系統(三田~曙橋)
  • 37系統(三田~駒込千駄木町)

●金杉橋
  • 1系統(品川駅前~上野駅前)

などがありました。その中でも麻布十番商店街を擁し乗降客の多かった一ノ橋停留所は、一際長い停留所だったようで、一ノ橋停留所を筆頭に麻布近辺は、まさに「城南の都電王国」であったとする回顧談もあります。

そんな都電も、道路の渋滞緩和政策から、4・5・8系統は1969年(昭和44年)3月、最後まで残ったドル箱の34系統(渋谷駅前~金杉橋)も1969年(昭和44年)10月25日を最後にして姿を消しました。



☆古川線 (4・5・7・8・34系統) 天現寺橋 - 古川橋 - 麻布十番 - 赤羽橋 - 芝園橋 - 金杉橋

  • 一の橋周辺はセンターリザベーション化されていた
  • 1908(明治41)年11月18日:天現寺橋 - 四ノ橋間開業
  • 1908(明治41)年12月29日:四ノ橋 - 一ノ橋間開業
  • 1909(明治42)年6月22日:一ノ橋 - 赤羽橋間開業
  • 1911(明治44)年12月26日:赤羽橋 - 芝園橋間開業
  • 1914(大正3)年3月15日:芝園橋 - 金杉橋間開業
  • 1969(昭和44)年10月26日:廃止

☆天現寺橋線 (8・34系統系統) 渋谷駅前 - 渋谷橋 - 天現寺橋 (玉川電気鉄道が敷設した路線)

  • 1921(大正10)年6月11日:渋谷 - 渋谷橋間開業
  • 1924(大正13)年5月21日:渋谷橋 - 天現寺橋間開業
  • 1937(昭和12)年:渋谷駅前停留所を東口へ移設(のちの東急玉川線と線路分断)
  • 1969(昭和44)年10月26日:廃止

☆目黒線 (4・5系統) 魚籃坂下 - 清正公前 - 上大崎 - 目黒駅前

  • 1913(大正2)年9月13日:(古川橋) - 白金志田町 - 白金郡市境界(白金火薬庫前(上大崎))間開業
  • 1914(大正3)年2月6日:白金郡市境界(元白金火薬庫前) - 目黒駅前間開業
  • 1967(昭和42)年12月10日:廃止

☆札の辻線 (3・8系統) 飯倉一丁目 - 赤羽橋 - 札ノ辻

  • 1912(明治45)年6月7日:開業
  • 1967(昭和42)年12月10日:廃止

☆恵比寿線 (豊沢線、天現寺線とも) 天現寺橋 - 伊達跡 - 恵比寿長者丸

  • 元々は外濠線が免許を取得していた路線。池上方面への延伸計画があったが実現せず
  • 1913(大正2)年4月27日:天現寺橋 - 恵比寿(伊達跡)間開業
  • 1922(大正11)年7月31日:伊達跡 - 恵比寿長者丸間開業
  • 1944(昭和19)年5月4日:廃止

☆六本木線 (3・8・33系統) 浜松町一丁目 - 御成門 - 神谷町 - 飯倉一丁目 - 六本木 - 北青山一丁目

  • 1911(明治44)年8月1日:御成門 - 麻布台町(六本木?)間開業
  • 1912(明治45)年6月7日:青山一丁目 - 六本木間開業
  • 1915(大正4)年5月25日:宇田川町(浜松町一丁目) - 御成門間開業
  • 1969(昭和44)年10月26日:廃止

☆伊皿子線 (4・5・7系統) 古川橋 - 魚籃坂下 - 泉岳寺

  • 1913(大正2)年9月13日:古川橋 - 白金志田町(魚籃坂下)間開業
  • 1919(大正8)年9月18日:白金志田町(魚籃坂下) - 車町(泉岳寺前)間開業
  • 1969(昭和44)年10月26日:廃止

☆五反田線 (4系統) 清正公前 - 白金猿町 - 五反田駅前

  • 1927(昭和2)年8月16日:清正公前 - 白金猿町間開業
  • 1933(昭和8)年11月6日:白金猿町 - 五反田駅前間開業
  • 1967(昭和42)年12月10日:廃止

☆霞町線 (6系統) 溜池 - 六本木 - 西麻布 - 南青山五丁目

  • 1914年9月1日:(麻布三河台) - 六本木 - 青山六丁目(南青山五丁目)間開業
  • 1925年6月6日:溜池 - 六本木間開業
  • 1967年12月10日:廃止

☆広尾線 (7系統) 青山一丁目 - 西麻布 - 天現寺橋

    大半が専用軌道
  • 1906(明治39)年3月3日:開業
  • 1969(昭和44)年10月26日:廃止



★都電麻布通過系統・停留所一覧
系統 路線 総延長km 停留所 開業 廃止
4 五反田駅前~銀座七丁目 8.088 五反田駅前-白金猿町-ニ本榎-清正公-魚籃坂下-古川橋-三ノ橋-ニノ橋-一ノ橋-麻布中ノ橋-赤羽橋-芝園橋-金杉橋-大門-浜松町1丁目-新橋5丁目-新橋-銀座7丁目-銀座4丁目-銀座2丁目 S8.11 S42.12
5 目黒駅前~永代橋 10.243 目黒駅前-上大崎-白金台町-日吉坂上-清正公-魚籃坂下-古川橋-三ノ橋-ニノ橋-一ノ橋-麻布中ノ橋-赤羽橋-芝園橋-芝公園-御成門-田村町4丁目-田村町1丁目-内幸町-日比谷公園-馬場先門-都庁前-鍛冶橋-京橋-桜橋-八丁堀-越前堀-永代橋 S2.3 S42.12
6 渋谷駅前~新橋 6.124 渋谷駅前-青山車庫-青山6丁目-南町-高樹町-霞町-材木町-六本木-今井町-福吉町 -溜池-虎ノ門-南佐久間町-田村町1丁目-新橋 T14.6 S42.12
7 品川駅前~四谷3丁目 8.321 品川駅前-高輪北町-泉岳寺-伊皿子-魚籃坂下-古川橋-四ノ橋-光林寺-天現寺橋- 広尾橋-赤十字病院-霞町-墓地下-南町1丁目-青山1丁目-権田原-信濃町- 左門町-四谷3丁目 T8.9 S44.3
8 中目黒~築地 10.209 中目黒-下通5丁目-恵比寿駅前-渋谷橋-下通2丁目-天現寺橋-光林寺-四ノ橋- 古川橋-三ノ橋-ニノ橋-一ノ橋-麻布中ノ橋-赤羽橋-飯倉4丁目-飯倉1丁目-神谷町 -巴町-虎ノ門-霞ヶ関-桜田門-日比谷公園-数寄屋橋-銀座4丁目-三原橋-築地 S2.3 S42.12
33 四谷3丁目~浜松町1丁目 5.753 四谷3丁目-左門町-信濃町-権田原-青山1丁目-新坂町-竜土町-六本木-三河台町 -飯倉片町-飯倉1丁目-神谷町-御成門-浜松町1丁目 T13.2 S44.3
34 渋谷駅前~金杉橋 6.372 渋谷駅前-並木橋-中通2丁目-渋谷橋-下通2丁目-天現寺橋-光林寺-四ノ橋-古川橋 -三ノ橋-ニノ橋-一ノ橋-麻布中ノ橋-赤羽橋-芝園橋-金杉橋 T13.5 S44.10



★都電運賃表(昭和37年10月現在)
種類 片道普通券 早朝割引 回数券 通勤定期 通学定期
都電 15円 25円 100円 660円 360円
無軌条 20円 30円 95円 710円 390円

※無軌条とはトロリーバスです。
※早朝割引は往復運賃です。
※回数券は都電7枚・無軌条5枚の料金です。
※定期は1ヶ月の金額です。(通学は中学生以上の料金です。)



<補筆>

天現寺~渋谷間の都電の線路は元は東急玉電が埋設したもので、 1924年(大正13年)5月21日渋谷橋~天現寺橋間に延長開業した玉電天現寺線は、1937年(昭和12年)上期に玉電ビル(現在の東急百貨店東横店西館)工事による渋谷駅高架化工事にともない渋谷橋~天現寺橋間は玉電から分断さた。そして1938年(昭和13年)11月1日天現寺・中目黒線の経営は東京市に委託され、更に1948年(昭和23年) 3月10日からは東京都へと譲渡され正式に都電となった。
また昭和40年代前半には桜田通り(まだTV朝日通りというんでしょうか?)にも東急バスが運行されていた記憶があったが曖昧だったので、櫻田町名主の忠兵衛さんに問い合わせると早速情報の提供があり、 桜新町・等々力~東京駅を結ぶ路線であったことがわかった。忠兵衛さん感謝!また、古い事なのでよくわからないとしながらも、


  • 昭和26年 5月10日 等々力~東京駅(狸穴町経由)運行開始
  • 昭和31年 3月16日 都営バスと相互乗り入れ
  • 昭和40年 3月 1日 経路変更(経路不明)
  • 昭和53年 4月 1日 六本木経由
  • 昭和28年 4月10日 駒沢から東京駅(天現寺経由)
  • 昭和31年10月 1日 桜新町から東京駅(えびす・材木町経由)
  • 昭和42年12月25日 桜新町から東京駅(首都高速3号線経由)
  • 昭和54年11月22日 廃止

「材木町(NETテレビ前)」停留所は昭和43年5月15日に「六本木六丁目」となりました。

という情報を即日提供していただいた「東急バス株式会社」さんにも謝辞を述べさせていただきます。
※(等々力~東京駅は経路を目黒に変えて東急・都営相互運用で現在も運行されています。)



そして昭和32(1957)年には十番通りを通っていた唯一の都営バス70系統(田町駅 - 赤羽橋 - 信濃町駅 - 新宿駅、目黒担当)が運行を開始する。


  • 田70甲
    田町駅東口(港区スポーツセンター) - 一ノ橋 -(←鳥居坂下/飯倉片町→)- 六本木 - 青山一丁目駅 - 信濃町駅 - 四谷三丁目 - 新宿駅西口
  • 田70乙
    田町駅東口(港区スポーツセンター) - 一ノ橋 - 飯倉片町 - 六本木 - 青山一丁目駅 - 信濃町駅 - 四谷三丁目 - 新宿駅西口
  • 田70丙
    田町駅東口(港区スポーツセンター) - 赤羽橋 -(←鳥居坂下/飯倉片町→)- 六本木 - 青山一丁目駅 - 信濃町駅 - 四谷三丁目 - 新宿駅西口
  • 田70丁
    田町駅東口(港区スポーツセンター) - 赤羽橋 - 飯倉片町 - 六本木 - 青山一丁目駅 - 信濃町駅 - 四谷三丁目 - 新宿駅西口


新宿方面と田町方面で経由が異なっていた。芋洗坂が20時以降の車両通行が禁止されるようになってからは、両方向とも飯倉片町経由となった。 1957年の70系統(田町駅 - 赤羽橋 - 信濃町駅 - 新宿駅、目黒担当)が前身で、1年後には同区間の三ノ橋経由便を新設、赤羽橋経由を甲、三ノ橋経由を乙とする。1970年には両系統とも田町駅 - 田町操車所(現・港区スポーツセンター)を延長開業し、1972年に田70甲・乙と変更した。 1982年12月26日、新宿が加入して共管を開始。1992年の目黒撤退を経て2000年12月12日に廃止。その後、一部に「ちぃばす」が設定された。 PS用ゲームソフト「東京バス案内」で、中ノ橋 → 新宿駅が収録されている。




★都バス・田町駅~新宿駅西口沿革
系統 年月日 経路・事象 総延長
70系統開設 S32. 3. 1 田町駅~赤羽橋~信濃町駅~新宿駅西口 8.472km
70甲 S33. 4.15 田町駅東口発着に延長 9.422km
70乙 S33. 4.15 三ノ橋経由を開設、乙とする。 9.592km
70乙 S54. 7.25 田町操車所(現港区スポーツセンター)発着に延長 9.320/ 9.170km
田70 S54. 7.25 終点停留所を田町駅東口から港区スポーツセンターに変更
田70甲 S56.12.25 新宿駅西口行きが六本木通りをトンネル経由となる 9.810/ 9.170km
田70 H 5. 2. 1 新宿駅行きを飯倉片町経由とし、午後8時以降の芋洗坂交通規制のため
両方向とも飯倉片町経由となる系統を乙・丁とする。従来の乙は丙に
田70 H12.12.12 大江戸線開通に伴い路線を廃止