2013年3月6日水曜日

槍持ち勘助<愛宕>

愛宕山の隣に、江戸三大寺の一つにも数えられた「萬年山 青松寺」と言う寺があります。
そして、その青松寺の墓所に、勘助地蔵(奴地蔵とも)と呼ばれる地蔵があります。

勘助の墓所
 美作津山藩主、松平越後守の家来に足軽の勘助と言う者がいました。勘助は殿様の行列で松平家自慢の大槍を持つのが役目でした。 これは天下に聞こえた大槍だけあって、力自慢の者でも長くお供をするのは容易ではなかったそうです。

大名の威厳の象徴である大槍を供先で倒すような事があればただちに死罪となってしまうので、足軽たちはこの槍に近づくことすら極度に恐れました。若い頃は「自分しかこの大槍を持てる者はいない」と誇りに思って忠勤に励んだ勘助も、年を取るにしたがって役目が辛くなり自信が持てなくなってきます。そして元禄14年の年の参勤交代でやっとのこと江戸に着くと、

「こんな苦労は、自分だけでたくさんだ」

と思い槍の柄を三尺切つめると、みごとな切腹をして果て、その死顔は安らかであったといいます。このような話を庶民が放っておくはずがなく、墓には香華が絶えなかったそうです。また勘助は痔の病があったようで、その病を持つ参詣者も多く生前、酒が大好きだった勘助の墓前にはいまも徳利が供えてあるそうです。

青松寺はいわゆる観光寺ではないため、墓所は檀家以外の立ち入りは許されていません。







愛宕山、萬年山青松寺辺
 
 
 
 
 
 







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