2013年4月3日水曜日

高輪の大仏(おおぼとけ)

高輪 如来寺
現在品川区西大井5丁目にある養玉院如来寺は、1908(明治41)年に高輪から当地に移転してきた如来寺と1923(大正12)年に元禄年間より下谷にあった養玉院 が合併して出来た天台宗の寺院です。

この高輪の如来寺は泉岳寺の南隣にあり、名物は高さ三メ-トルあまりもある五体の五智如来が安置されていました。この事から「高輪の大仏(おおぼとけ)」と呼ばれ、多くの信仰を集めていました。五智如来とは密教の主尊である大日如来が有する5種の智恵(法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)を象徴したものだそうです。

この如来寺の開祖木喰上人は俗名を「又七」と言い神田大工町に住む仏師でした。しかし彼のもう一つの顔は「隠れキリシタン」でもありました。

元和五(1619)年、幕府の厳しい追求により又七と共に57人の隠れキリシタンが捕まり、品川の海岸で磔となって槍で突き殺されてしまったそうです。しかしどうした訳か又七だけは生き残ることが出来、翌朝通りかかりの旅人に助けられて上総の国(千葉)に逃れます。さらに天神山にこもって木食の行(人付き合い、五穀を断つ行)をして一心に仏像を彫りました。この仏像は大日如来・釈迦如来・阿弥陀如来・宝生如来・薬師如来の五体の如来像で後に五智如来といわれるようになったそうです。

この五智如来が無二の名作との評判がたつと、噂を聞きつけた代官所の役人による詮議が行われ、過去に隠れキリシタであった事も発覚してしまいました。しかし、厳しい取り調べの結果キリシタンから仏教に転向した事が認められ、芝高輪に土地が与えられ寺を建てて五智如来を安置することが許されます。そして後江戸に戻った又七は「但唱」と名を改めて自分以外磔でなくなった56人の冥福と供養のために市中を托鉢して回り、その寄付によって寺は建てられたといわれています。

やがて大勢の参拝客が訪れ「高輪の大仏」として有名になりました。
しかしその後、享保の頃に寺は火災にあい薬師如来の頭部を除く四体が焼失してしまいます。
現在のものは、延享三(1746)年ころに造られたものであるとの事ですが、品川に移転した後も大井の大仏(おおぼとけ)として現在も多くの信仰を集めています。
































品川区西大井5丁目  帰命山 養玉院如来寺

五智如来堂 瑞應殿

五智如来解説板

大井の大佛碑

大佛 如来寺 碑











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